97.彼は彼なりに --------------------



福留は、警戒している様子もなく村松がいる場所へと近づいてきた。
「村松さん…何してんですかー?そんな所で。」
声は思いのほか穏やかだった。それが返って不気味さを煽ったのだが。
村松は鞄を掴んで立ち上がり、福留の一挙一動をじっと見据える。
ゆっくりと傾斜を上がってくる福留。右手に持った包丁を隠そうともしない。
「……人を、探していた。」
あえて理由は言わず、福留との距離を測る。まだ。まだ距離は取れている。
福留が近づくにつれ、ゆっくりと後ずさり、一定の距離を保つ。まだ大丈夫だ。
「人を探さない事には、どうにもできないからな。」
「…ああ、そうですか。そうですよね。」
福留は納得したかのように微笑み、突如、包丁を持った右手を振りかざした。

「人を見つけて殺すのが、このゲームのルールですからね!」

突然走り出す福留にあわせるように、村松も元来た道を走り出した。


「うわ、何かこっち走ってくるぞ!逃げるぞ!!」
集落を出てからずっと尾行を続け、今も岩陰からこっそり様子を見守っていた相川が石井に振り返った。
「って、おい!?」
石井は既に走り出していた。その姿を眼で追い、何でこんな時だけ行動早いんだ、と慌てて追いかける。
「俺、尾行なんて絶対バレると思ったんですよ!」
不満げに叫ぶ石井の声は、涙声だった。
「いや、何かよく分からねぇけどあれは福留から逃げてんじゃね!?落ち着けよ!」
「じゃあ福留が危ないんですか!?どーすんすか!?村松さん見捨てるんすか!?このまま逃げるんですか!?」
「質問ばっかすんなよ!!どーするっつったって…逃げるしかねぇだろ!?」
涙声で涙目の石井に対して、相川は半ば投げやりに返した。
そうだ。村松さんを囮にするって決めて、バレない様に後を追って。
そのお陰で福留が危ないと分かって。逃げてる。何がおかしい? 何もおかしくなんかない!

「うわあっ!」

石井が小石に躓き、勢い余って地面に倒れこむ。

「痛ってぇ…。」
「アホっ!」
「こんな所に石があるから駄目なんですよ!ああもう、手が擦り剥けた!」
石井は痛そうに手を見つめている。微かに滲んだ血に文句を垂れている場合ではないのに。
混乱しているのか?混乱している人間は、ここまで愚かになれるものなのか?
「そんな事言ってる場合じゃ…!」
相川が石井に手を貸して立ち上がらせようとした時、走ってくる村松の姿を捉えた。
村松も、二人に気づいたように驚愕の表情を浮かべ、足が止まる。
だがその表情はすぐに真剣なものに変わり、二人に向かって、叫んだ。

「逃げろ!!」

叫ばれた言葉は、今まさに相川達がしようとしている事。
自分達が見捨てようとしている者から放たれた言葉は、あまりにも優しいものだった。

相川が言葉を返す前に、村松は岩陰に姿を消した。
石井が、不思議そうな眼差しでその岩陰を見据えていた。
村松が振り返ると、福留も立ち止まった。二人の距離は、5Mもない。
「どうしたんです?誰かいましたか?俺よりそっちを先に殺したらどうですか?」
突然立ち止まった事を警戒しているのだろう。早口でまくしたてる福留の眼はまだ殺気が失せていない。
「…勘違いするな。俺は誰も殺す気は無い…襲い掛かってこない限りはな。」
村松は鞄と懐中電灯を地面に落とし、ホルスターの中に納まっているライトに右手をかける。
幸い、ホルスターはコートの影に隠れている。福留は自分の武器が何であるか、まだ知らないだろう。
だが、それ――護身用の強力ライト――はお世辞にも包丁に立ち向かえるような代物とは言えない。
「へぇ…俺は、生き残りたいから誰でも殺しますけど。」
「…生き残って、メジャーにでも行く気か?」

薄暗くなってきたとはいえ、まだ明るい。この距離で使ってどれだけの効果がある?
ライトを使うなら、至近距離。だが、相手は包丁を持っている。包丁相手に接近戦を挑めるか?

「いえ。日本シリーズの打席に立って、今度こそチームを日本一に導くんです。俺の力で。」
「……若いな。自分一人の力で、チームを導けるとでも思ってるのか?
 選手一人の力でチームを日本一に導ける程、チームは軽くないぞ?」

包丁を避けれればいい。最初の一撃を避けれれば。相手に隙が出来れば。可能性はある。
それに、福留は今、左手が不自由だ。包丁さえ奪えば、後はどうにでもなる。

「そんな事、分かってますよ。」
「…岩瀬はどうする?岩瀬も殺すか?お前より遥かにチームに貢献した人間を殺せるのか?」

人間、激昂すれば隙が生じる。その隙を見計れば、いくらでも勝機はある。
幸い、人を傷つけ、怒らせる事は簡単だ。それが血気盛んな若者であれば尚更。

「…チームにしてみれば、お前が生き残るより岩瀬が生き残った方が嬉しいだろうな。」

人を傷つけるのは好まない。だが自分を殺すと言っている人間に対しては別だ。

「本当にチームを日本一にさせたければ、ここで死んだ方がいいんじゃないか?」
「………!!」

それは、禁句。怪我でチームに貢献できなかった福留に対して、あまりにも辛辣な言葉。

福留の眼に、激しい殺気が宿った。包丁を両手で握り、我を忘れて襲い掛かってくる。
(これなら、避けれる…!避けた後でライトで顔面を照らせば……)
福留の行動を予測し、ホルスターからライトを引き抜いた、その時。

「村松さん!!」
突然の自分を呼びかける声に、思わず振り返る。それは、一瞬の出来事だった。

振り返った瞬間に、福留が持った細身の包丁は、村松の腹に深々と突き刺さった。

(しまった……!!)
すぐ様、右手で掴んでいたライトを、福留の顔面に向かって照らす。
「うっ!」
完全に視界を奪われた福留は、力任せに包丁を引き抜いて、その場に座り込んだ。
「あああああああっ!!」
見えない事は余程の恐怖なのだろうか。福留は血塗れた包丁を異常なまでに振りまわす。攻撃されないように。

だが、村松からの反撃はそれ以上無かった。

刺された腹を左手で押さえ、数歩下がり、叫ぶ福留を冷めた目で見据える。
傷口から溢れ出る液体は、ユニフォームの腹の部分をじわじわと真っ赤に染め上げていく。
激痛。恐らく内臓の何かが貫かれた。体内からくる鋭い痛みは、福留を攻撃する事を許さなかった。

(…ヤバい…か?)

体が痛みに耐え切れず、膝を付く。手に力が入らない。眼が霞む。
終わりだ。自分はここで終る。そんな気がした。

(……鞄……鞄を…。)

大事な鞄。大事な紙。万が一の事を恐れて書き記した、愛する家族宛ての、大事な手紙。
あれがあれば。誰かに託す事が出来れば。その誰かさえ生き残ってくれれば。
血塗れた左手で自分の鞄に手を伸ばした時、急激に鞄が遠のいた。

錯覚ではない。明らかに鞄が、いや、自分が鞄から遠のいていた。
後ろから凄い力でコートが引っ張られている。それに抗う体力もなく、なすがままに引き摺られる。

「すんません!!村松さん、すんません!!」
さっきの声。大声で叫んでいる。だがその大声すら、聞き取るのがやっとだった。
耳が遠くなっているのか、痛みに神経が集中しているのか。それは分からない。
「鞄……鞄を……。」
掠れた声は、言葉にならない。左手で必死で鞄を指差す。
「馬鹿です!俺ら、本当に馬鹿です!!」
違う声。その声の主は、どうも泣いているようで。
もはや何を言っても無駄だと悟り、鞄を指差し続ける気力もなく、ゆっくりと降ろす。
誰も馬鹿って言ってないだろう。だが、逃げなかったんなら確かに馬鹿だ。
俺がせっかく、時間を稼いだのに。馬鹿だ。お前ら、逃げようとしていたじゃないか。
助けにきたにしても、人を引き摺るな。おぶるなり何なりしてくれ。腹も痛いが、砂利も痛い。
だが、命の危険を顧みずに助けてくれた人間に、そんな無粋な事言うつもりはない。

「……ありがとう…。」

引きずられる感覚とようやく得る事ができた安心感に身を委ね、村松は静かに眼を閉じた。


【村松有人(23)・ 相川亮二(59)・石井弘寿(61)・福留孝介(1)B−6】




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