73.キャッチボールがしたい --------------------



「『薬品セット☆ これであなたも毒殺のプロ☆★☆』か・・・・」

湖の畔にあった木を背もたれにして座ったまま、小笠原は低く呟いた。
あぐらをかいた足の上には救急箱のような白い小さな木製の箱がある。
その中には高さ10cmほどの寸胴で茶色い薬瓶が4本入っており、
蓋の裏にはきちんとパッキングされた小型の注射器が5本あった。
試しに一番右上の小瓶を取り出してみる。
その瓶のラベルには黒い文字で『水酸化ナトリウム』と印刷してあるのが読めた。
水酸化ナトリウムか・・・・・聞き覚えがあるような無いような。
瓶を元の場所に戻すと灰色の雲に覆われた空を見上げた。
島の上空には鳥が一羽大きく旋回しながら飛んでいる。

昨日の今頃はこんなことになる事など想像だにしなかった。
可愛い娘と妻と一緒に夕食を食べたり遊んだりと『いつもの通り』のオフを過ごした。
それが、どうだ。
今は思い出だったこのユニフォームを着て、殺人ゲームに放り込まれ、妙な島に連れてこられ、
『いつも通り』なんて欠片ほども感じられない。

いや今だけじゃない、ずっとこれからだ。
死のうが生き残ろうが、昨日まであった『いつも通り』はもうすでにこの世界から消えて無くなっているのだから。

それに死ぬ確率の方が高いだろうな。
そう考えながら小笠原はアテネでの夏を思い出していた。
パ・リーグの首位打者として招集されたが、全試合出場しての打率は2割5分以下の散々足るもので。
全試合出場して、まともに結果を残せなかった自分に目が届かない訳ないだろう。

小笠原は残りの薬品の確認はせずに、箱の蓋を閉じて白い鞄の中に戻した。
それから首にかけていた透明のホルダーの中から地図を取り出して広げ、足の上に置く。
そして頬杖をつきながら、人差し指で自分の通ってきた道を確認した。

最初の砂浜から一本道を通って、E−4の分かれ道を右に行って、湖に沿って右に歩いて、今に至るか。
足の上に地図を置いたまま、今度は選手の名前が書かれた紙を取り出した。
そういえば何人の選手がこの島に着たのかも分からないな、とふと気付く。

時計があれば大体の人数は出せるかも知れないが、あの船に置いてきてしまった。
今思えば時計ぐらい良かっただろうな、と小笠原は後悔した。
船から持ってきたと言えば――喘息用の薬とハートのエースのカードぐらいか。
そう思い出しながら喘息用の吸引薬をポケットから取り出す。
まだこれをもってくるって事は死にたくないんだな、俺は。
自嘲気味に口元だけで笑いながら呟いた。

しばらく吸引薬を眺めた後、それを鞄の中に放りこみ、鞄の口を閉める。
そしてユニフォームの一番上のボタンを引きちぎると、
左手の薬指にしていた結婚指輪を外し、鞄の側面にあったポケットに落ちないようにと奥の方に入れた。
自分を支えてくれた家族の愛情と、今まで野球に打ち込んできた情熱を綺麗なまま残すために。

「さて・・・どこに行こうかな。」

広げたままの地図を再び眺めた。
自分の居る地点からはちょうど反対に当たる場所に診療所と学校と野球場があることが分かった。
野球場、か。
地図を畳み、名簿と一緒にホルダーの中に仕舞う。
どうせなら誰かとキャッチボールでもするか。その前にボールとグラブがあるのかは気になるが。
その後の事はそれから決めよう。
それからでもきっと遅くないだろう。
小笠原はそう決めて、立ち上がる。

『ハートのエースだったし、きっといいもん入ってるでしょう。』
その瞬間、不意に金子の言葉が脳裏に浮かんだ。
ああいい武器だ、死のうと思えばいつでも死ねるんだから。

肩から提げた鞄のポケットをそっと撫でた。
別に殺されても構わない、殺人者にもなりたくない、人の命の上に立ってまで家には帰りたくない。

でも約束は裏切ってしまうな。
2人の天使のような娘の姿を思い出しながら小笠原は苦笑した。
玄関で約束した、『絶対帰ってくる』と。
今思ってみればあの二人の子供達はこれからの自分の運命が見えていたのだろうか。
出るときに思いっきり泣かれた事も思い出した。


でもそれは―――最早過去のこと。
もう二度と帰ってこない、過去のこと。

小笠原は野球場を目指して歩き始めた。
キャッチボールをするためにそして、一人の野球選手として死ぬために。
その表情に迷いは無かった。

【A2・小笠原C−4からH−4の野球場へ移動開始】




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