72.希望が見えない --------------------



「岩隈ー、おるのは分かっとるでー?」
誰もいない岩場に向かって、黒田は呼びかけた。
岩場を全力で走る岩隈を見つけて追ってきてはみたものの、姿を完全に見失う。
近くにいるのは分かっている。だが下手に近づくのは危険だ。
走る際の必死な形相から、岩隈が完全に平常心ではないと見て取れた。
「…まあ何や、突然こんな所に連れられてパニックになるのは分かるけどー…。」
黒田はチラり、と後ろを振り返る。ここからはもう砂浜は確認できない。

(木村さん…大丈夫やろか?)

本当は砂浜の近くに身を潜めて落ち合うつもりだったのだが。
岩隈の半狂乱の姿を見て、どうしても見捨てる事は出来なくて後を追って来た。
すぐに追いつけると思ったが、甘かった。お互いプロの野球選手。体力は常人以上。
気づけば、エリアの一番隅…I―1まで追いかけっこは続いていた。
そしてこの辺りで岩隈の姿を見失い、滑りやすい岩場を慎重に歩く内に星野の放送が聞こえてきた。
今から戻っても、もう砂浜に木村の姿は無いだろう。
(…木村さん、堪忍してください。でも貴方も俺の立場やったら岩隈を追うでしょ?)
実際の木村が今どういう状況なのかも知らず、のん気に結論付けていた、その時。

「…殺し合い…。」

黒田の耳が、波の音に混じる呟きを捉える。その呟きは終わりの無い呪文のように続く。
「殺し合い…殺し合い…逃げる…殺し合い…嫌だ…。」
(…あかんな、あいつ完璧にイカれとるわ。)
黒田の額に、じっとりと汗が滲む。走る際に滲んだ汗とは違う、冷たい汗が。
先程の判断を後悔するが、来てしまったものはしょうがない、とすぐに開き直る。
言えるだけの事は言っておこう。呪文が聞こえてくる岩の陰に向けて、大きく息を吸い込んだ。
「殺し合いなんて、今までだってやってきたやないか!」

繰り返される呪文を掻き消す程の大声が、岩場に響く。
「俺らが投げる硬球は、当たり所悪ければ死ぬんや!打者が打ち返してくる球も同じや!
 お前が気づいてへんだけで、俺らは常に殺し合いやっとんねん!!」
黒田の頭に、シーズン中、ライナーが頭に直撃したベテラン右腕の姿がよぎる。
その人はその後普通に続投していたが、当たった瞬間は流石にベンチ内が静まり返った。
自分があのマウンドの上でああなっていたら。当たり所が悪かったら。
ああ、自分達は常に死の危険の中でプレーしているのだ、と思い知らされた。
(…でもマウンド上で死ねるんなら、投手としては…)

「ぼ、僕は人を殺すつもりで投げた事なんか、一度も無い!!」

突然、岩隈が黒田の見据えていた岩の影から姿を現し、黒田を睨みつける。
黒田は慌てて身構えるが、岩隈が武器を持っている様子は無い。
まるで苛められていた子供が初めて逆らったかのような、声が裏返った叫び。
手に握り締めているのは鞄の持ち手と小型の懐中電灯。足が微かに震えている。
「…当たり前やろ!そんなつもりで投げられてたまるか、アホ!!」
言い返すと同時に、黒田は自分の呼吸が乱れている事に気づいた。
重い鞄を持って走ったり、大声で叫んだりしたから疲れたのだろうか?
俺ももう年かな?ふと、そう思った。一息ついて呼吸を整えて、怒りの形相をしている岩隈に呟く。
「…ファンいなくなるぞ?そんな顔しとったら。」
「どうせ、ここから生きて帰れやしないんです!どんな顔してたっていいじゃないですか!!」
震える声で吐き出された反論の後、数秒…黒田はそうやな、と小さく笑った。

上陸した当初は木村と合流しようと思った。だが、合流した所で何が出来る?
もし、メンバーの中に権力者や天才がいたなら、集まって何かできたのかもしれない。
だが実際は体力ばかりに自信のある人間の集まりだ。集まった所で何が出来る?
大きな権力を持つ主催者に対して、俺達は何が出来る?黒田はその先に何の希望も持てなかった。
ならば、一人だけ生き残る道を選ぶ?そんな気にもなれない。
武器がハズレだった訳ではない――武器は小型のボウガン。矢も十数本ある――が、
仲間を殺した手で可愛い子供に触れたくないし、その子に「人殺しの子供」のレッテルを貼りたくない。

岩隈を追いかけていく中で考えれば考える程、黒田は深い絶望の淵に追い込まれいた。
気づいたのだ。絶望の中にあるはずの微かな希望が、自分には見えない事に。

「…なぁ岩隈…今、お前何がしたい?」
落ち着いた声で放たれた黒田の問いかけに、岩隈は微かに首を傾げた。
黒田は視線を岩隈から海の方に移す。岩場に打ち付けられる波の飛沫が綺麗だと思った。
足場の岩に生えた苔を、片足で弄る。簡単に剥がれて靴に纏わりついた苔を、他の岩にのじりつける。
「…黒田さんは、何がしたいですか?こんな状況でも何かしたい事がありますか?」
岩隈から返ってきた声は多少早口で取り乱してはいたものの、先程よりはずっと落ち着いていた。
「俺か?俺は………。」
予想していなかった返答に、黒田は言葉を詰まらせる。

(…俺は今、この状況で何がしたい…?)

黒田は空を仰いだ。その余りにも無防備な姿につられて、岩隈も空を見上げた。
だが何の変哲も無い曇り空を見上げ続ける気にはなれず、すぐに黒田に視線を戻す。
黒田はまだ空を見上げていた。岩隈の存在を忘れたかのように、ただ曇った空を見上げていた。
何が見えているのだろう。もしかしたら何も見えていないのかもしれない。岩隈は思った。
「……黒田さん?」
岩隈の波の音より小さな呼びかけは、黒田に届いたのかどうか分からない。
突然、黒田は岩隈に背を向けて走り出した。その後ろ姿は全く岩隈を警戒していない。
「黒田さん!!」
岩隈は狂ったように黒田の名を叫び、慌てて後を追おうとしたが足場が滑り派手に転倒する。

岩隈が立ち上がった時、もう黒田の姿は見えなかった。


【A15黒田H−1(ややI−1寄り)&A20岩隈I−1へ移動 残り22名】




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