65.弱気は最大の敵 --------------------



誰も居なくなり、暗くなったメインシアターにその男は立っていた。
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、右手は血が出そうなほど強く握られている。
その男――大野豊の全身はただならぬ怒りに包まれていた。

――彼らは地獄へと向かわされてしまったのだ、あの何も分かっていない老人どもに!

人の命を軽く扱うことに対しての怒り、私利私欲のためにこんなにふざけた事を推し進めた人物達への怒り・・・
そして、何も止める事の出来なかった自分に対する怒り。
大野は奥歯を強く噛み締め、必死に怒りを吐き出す事を堪えていた。
普段の温厚な表情は消え果て、ただ多大なる憎しみと怒りだけがその顔には浮かんでいる。

何故だ、何故彼らが・・・

大野はアテネの熱い空気を思い出した。
誰もが最後まで諦めず、ただ一つの目標に向かって、彼らなりに懸命に戦ってきたというのに――

何故だ、何故こんな事になった。

「大野さん」

はっと気がつくと少し間の抜けたような声が背後から聞こえた。
大野はゆっくり振り返る。
視線の先にはいつの間にか自らが開けて入ってきた重厚な扉の前に黒服の男が二人立っていた。

「・・・・何だ。」

大野は険しい表情のまま、その男を見た。

「何だはないでしょう。」

二人のうち、タキシードを着ている小柄な男が大野に向かって歩き始めていた。
大野と同じく、アテネ五輪野球日本代表のコーチを務めた高木豊である。
高木は大野から三歩程度手前で止まるときょろきょろと会場を見渡す。
黒服の男はまだ扉の前に立っていた。

「こんなところに来てどうかしたんですか?」
「こんなところに?」
「いやぁ始まっちゃいましたね。」

こんなところに?始まっちゃいましたね?
ヘラヘラとしながらそう話す高木に大野は絶句した。
この男も一緒だというのか・・・!
本当は今にでも目の前の男を殴り飛ばしたい衝動に駆られていたが、その代わりに握り締めていた右手に更に力を入れた。
柔らかいとは言いにくい皮膚に食い込んだ爪が大野の頭をかえって冷静にさせる。

「誰が勝つんでしょうね。僕の見解ではやっぱり上原とか松坂、それに城島あたりが有力だと思ってるんですけどね。」

目ざとく酒の入ったグラスでも見つけたのか、高木はサラダが並ぶテーブルに早歩きで向かった。

大野は動かないまま、目でその行動を追う。
ふと高木が向かったテーブルの足元に何かの紙袋が置いてあるのが見えた。

「高木、その紙袋取ってくれないか?」

大野が声を上げるとひょこひょこと歩いていた高木が振り返った。

「紙袋?」
「お前の足元にある奴だ。」

すっと大野の横を黒服の男が通った。
しまった、と感じながら急いで高木の元に向かって走る。
黒服の男より先に着いたのは幸か不幸か。
高木は不思議そうな顔で紙袋の中を覗いている。

「・・・・大野さん、これもらってもいいっすかねぇ。」
「は?」

黒服の男が紙袋を高木から奪い取る。
男と大野が中を覗くとそこには『きのこの山』や『コアラのマーチ』など菓子が山ほど。

「結構入ってますよ、誰のですかねぇ。」

中を確認すると紙袋を高木に押し付け、黒服の男は再び出口に向かった。
大野は呆気にとられていたが、高木は黒服の男を一瞥してから胸の前に抱えた紙袋に手を入れる。
そしてキャラメルを発見し嬉しそうな表情を浮かべた。
大野さんなんか要りますー?と、ごそごそと紙袋を探りながら能天気に高木が大野に話しかける。
しかし大野は険しい表情のまま返事をせずに踵を返した。
怒りに満ちた大野の表情に首を傾げる高木。

自分が大丈夫ならどうでもいいとでも言うのか、ふざけるな!
絶対に選手達を救い出してみせる。
選手達の夢や希望や誇りや幸せ、全てを私の命に掛けても!


そう決意した。
左胸に手を当て、祈るように一言呟きながら。
そしてかつては地獄への扉だった重く華やかな扉に手を掛け、メインシアターを出て行った。
大野の脳裏には笑顔に満ち溢れたアテネ五輪の選手達が浮かんでいた。



高木は胸ポケットにキャラメルを滑り込ませながら、大野の後姿を見て呟いた。

「・・・・・いい顔ですね、大野さん。」

その表情からは何も読み取れない。


【A31高木・金子のお土産(お菓子の入った紙袋)所持】




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