54.逃避 --------------------



気が付くと、漂流物がいくつかある以外はまっさらな海岸に降り立っていた。
後ろには小さなボート、そのまた遠くには贅の限りをつくした豪華客船があることぐらい見なくても分かる。
伸びた茶色い髪の毛が微風に吹かれてなびく。
ここはどこだろう、と一人呟く。
押し寄せる波の音以外は、何も聞こえない。
聞きなれた車の騒音も、自分を呼ぶ娘や妻の声も、少し音量を小さめにしたニュースを読む声も、今は全て聞こえない。
ただ波の音だけが耳に入る。
もう一度心の中で『ここはどこだ?』と呟くと、背番号20番――岩隈はおぼつかない足取りで歩き始めた。
波打ち際を歩いているので一歩歩くたび、ゆるくなった地面にスパイクが埋まる。
それでも一歩、一歩と進むほかないことは岩隈自身知っていた。
今自分が居るのは『戦場』なのだと、おぼろげながら認識していたからだ。

岩隈はさっきまでの出来事を覚えていなかった。
頭に入っていたのは、星野の『殺し合い』の言葉だけ。
残りは岩隈の自己防衛本能が働いたのか、記憶していても思い出せない状態になっていた。
しかし現在の岩隈は思い出すということをするより先に、足が動いたのだ。
砂浜と岩場の境界線の少し手前で、岩隈はふと立ち止まった。
島に降りてから20分あまりして肩にかけていたバッグの存在にようやく気付いたのだ。
波が足をさらいそうになる場所から少し上に行き、バッグを地面に降ろす。
しばらくそれを観察した。
全面がほとんど白のそれは、
ジッパーの持ち手に開けられた穴と鞄を吊るすための紐が取り付けられている金具とを小さな南京錠で繋いである。
ユニフォームの右ポケットを探ると、紫色の薄い封筒が出てきた。
ちまちまと開けた口を少し広げて、スペードの10のカードと小さな鍵を左手に出した。
薄い銀色の鍵は、ほぼ南中の太陽の暖かい光にきらりと反射した。
バッグについている南京錠に鍵を差し込んで回すと、小さくカチッと音がした。
外した南京錠とその鍵は少し迷いもしたが、岩隈の左ポケットに収まる事となった。

一気にジッパーを開け、中を確認した。
まず見えたのが小型の懐中電灯、次にこの島の地図であろう紙と赤いペンの入ったスケルトンの首掛けホルダー。
岩隈はまず小型懐中電灯を左手に持ち、ホルダーの中をきちんと確認することにした。
表は島の地図だろうか黄緑色や水色が使われている、
裏は黒の一色で[アテネ五輪日本代表選手一覧]と書かれている。
それを見た瞬間、『現実だ』と頭の中に声がして、岩隈は目を伏せた。
殺し合いをする、あの夏を一緒に戦ってきたメンバーで、一人になるまで。
様々な思いが頭をよぎってはそこら辺に隠れ、岩隈をあざ笑っていた。

生き残りたいのか?
裏切り者、
楽しけりゃあいいんじゃない、
寂しいだろ、
お前は絶対生き残れない、
生きる資格なんてない、


「俺は・・・・」

かもすればさざ波の声にかき消されそうな小さな声。
頭を抱え、顔には怒りと悲しみと焦りが混合した表情が浮かび、内面から聞こえる声が寒くもないのに体を凍らせた。

その瞬間、一つの銃声が岩隈の耳の中に、いや島中に響き渡った。
岩隈はそれがスタートの合図だったかのように、
左手で懐中電灯とホルダーを持ち、右手で鞄の白い持ち手を掴み岩場に向かって走り出した。

逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ
逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ

呪文のように何度も何度も心の中で繰り返しながら走る。
岩場の飛び石になった部分を素早く飛んで、少し苔に足をとられながらも走る。
波が岩に押し付けられ水が自分に跳ね返ってこようが、お構い無しに走る。

岩隈は走る、右頬の痛みなどとっくに忘れて。


【A20・岩隈E−2よりG−1へ移動 残り23名】




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