38.強固な決意 --------------------



「西武ライオンズの松坂様と和田様でございますね。開始のお時間が迫っておりますのでお急ぎください」
松坂と和田が搭乗ゲートの係員に封筒を差し出すと、係員は手馴れた手つきでそれらを検めると二人をメインシアターに促した。
「あ、ちょっとすいません」
が、松坂はメインシアターには向かおうとせず係員を呼び止めると
いぶかしげな顔をする係員に片手に持った紙袋を肩の高さまで上げて見せた。
「俺、出がけにばたばたしちゃってまだ着替えてないんですけどどこか着替えられるような部屋あります?」
と悪びれることなく言ってのける松坂に和田は思わず天を仰いだ。
(あ〜あ、自分が悪いんだからちょっとは遠慮して見せろよ)
本当にパーティーの開始が迫っているらしくそれを言われた瞬間の係員の顔は目に見えて強張った。
口元をひくひくと引き攣らせながらなんとか愛想笑いを貼り付ける係員に同情を覚えながら和田は心中溜息を吐いた。
この若者の傍若無人と言うか強気な面は試合中では頼もしいことこの上ないがそれ以外では胃が痛くなることもしばしばだ。
(まったく。俺が心痛で禿げたらどうしてくれるんだ)
宮本辺りが聞いたら「いや!ていうかもう禿げとるやん!」と
即座に突っ込みを入れそうなことを思いながら和田が松坂と係員のやり取りを見守っていると、
相手もさすがにプロらしく一瞬の自失の後は完璧な営業用の顔で「では、客室にご案内いたします」と答えて見せた。
「どーもすいません」
と言葉では殊勝なことを言いながら丸っきりそう思ってないだろう松坂の後に続きながら、
これからパーティーでお偉方と松坂をはじめとする傍若無人な若手たちとの間に挟まれることを考えると
すでに胃がちょっと痛くなってくる和田であった。

「大輔さん、和田さん」
二人が船内の豪華な内装に半ば見惚れながら進んで行くとふいに通路の横から控えめな声が掛けられた。
「クマじゃん!」「おう、岩隈か」
そこに居たのはアテネの同僚にして近鉄の若きエース、そして今年からは楽天のエースとなった岩隈久志だった。
長身痩躯に線の細い顔立ちも相まってどこか気弱そうに見えるこの若者は着慣れないタキシードのせいか、
それとも華美に過ぎる船内に気後れしてかどこか居心地悪そうに佇んでいた。
「お久しぶりです」
それでも知り合いに会えたことにほっとしたのか人の良さそうな笑顔を見せた。
それは移籍問題で世間を騒がせたあの頑なな態度など欠片も無い、気安い信頼できる仲間に見せる安心した笑顔だった。
「久しぶりじゃん。てか、お前こんなとこで何してんだよ?」
松坂の言葉も無理からぬものだった。
先程パーティーの開始が迫っていると係員に嫌な顔をされたばかりであるというのに
岩隈はメインシアターに向かうでもなくこんなところをうろうろしている。
「実は・・ちょっと一人で行くのに気後れしちゃって
 誰か知ってる人を待とうと思って受付のところに戻ろうとしたんですけど・・迷っちゃって」
ばつが悪そうに話す若者に和田は思わず「ぶっ」と噴出してしまった。
世間一般では落ち着いているとかしっかりしているとか言われるこの青年もなんのことはないまだ23の若者なのだ。
「お前・・それで遅れたら元も子もないだろう。社会人なんだからもっとしっかりしろよ」
松坂が自分のことは棚に上げて尤もらしい説教を後輩に垂れると「いや、お前が言うなよ」と即座に和田の突込みが入る。
それに「俺はしっかりしてますよ」としれっと答える松坂の即席漫才コンビに表情をほころばせ、
「いや、でも本当にお二人が通りかかってくれて助かりましたよ。ホント右も左もわからなくてどうしようかと思ってたところなんです」
と岩隈が笑いながらフォローを入れた。

それから「ところでお二人こそどうしてこんなところへ?」と岩隈が尋ねると和田が笑いながら松坂を指し
「こいつ着替えてないんだよ。それで着替えに客室に案内してもらってんだよ」
と答えた。三人のやや前方からこちらを伺っている係員を目に留め岩隈は「ああ」と納得した。
それならこんなところで立ち話などしていては悪いだろうと思い岩隈は二人を促して歩き始めた。
歩きながら「確かにタキシードで来るのは恥ずかしいものがありますしね」と言うと、
途端に松坂は憮然とし和田はにやにやしだした。
岩隈がわけがわからず目を丸くしていると
「こいつ、タキシードじゃないんだよ。スーツなんだよ」
と和田が人の悪そうな笑みで教えてくれた。
「だって正装って書いてあったら普通スーツって思うじゃないですか」
不機嫌そうにぶつぶつ言う松坂に和田は笑いながら「俺はタキシードだと思ったけど」とちゃちゃをいれる。
「はあ・・僕もスーツか迷ったんですけどナオさんに相談したらタキシードで行くって言ってたんで」
「クマ!何でそこで俺に相談しないんだよ!!」
「え、いや、それは・・」
「大輔、それは言いにくいけど人望の差だろう」
和田がさらに面白がって松坂をからかい、松坂は憤慨して「和田さん!!」と噛み付く。
岩隈はどうしていいかわからずおろおろと二人を伺っていた。
「いいですよ!これはうちの嫁さんが仕立ててくれた一級品なんだから!そこら辺の安物のタキシードには負けませんって!」
ついには開き直ってしまった松坂に和田はにやにやと「おお、惚気か!新婚はお熱いね〜」などと更にからかいだす。
「あ、そういえば大輔さんのところ新婚ですよね。遅れましたけどご結婚おめでとうございます」
ふと、岩隈は松坂がほんの2ヶ月ほど前に結婚したことを思い出し今更ながら祝辞を述べた。
新妻の柴田倫世さんとは以前彼女が司会を勤める某番組で一緒になったことがある。
そのときは松坂も一緒に出演していて、
隠しているとはいえ結婚間近のカップルに挟まれて居た堪れない気持ちになったものである。

「おお、サンキュ。お前も楽天に決まって良かったな」
もうすでに言われ慣れたことなのか松坂は照れることもなく逆に岩隈の門出を祝ってくれた。
「ありがとうございます・・自分の意地を通したために回りに迷惑を掛けてしまって少し申し訳ないですけど」
近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブの合併という昨夏の一連の騒動において
最も煽りを食らったのは両球団の選手たちだったろうが、その中でも岩隈の移籍問題は特に熱かった。
合併球団が自分を必要だといってくれたのは嬉しかったが、
近鉄が消滅したから合併球団に・・という気持ちには到底なれなかった。
多分、自分はオリックスバファローズに移籍していたとしてもその球団を愛することはとても出来なかっただろう。
だから楽天がどんなに弱かろうと自分の選択を後悔することは決して無いと、胸を張って言えた。
だが、それでも熱心にオリックスに誘ってくれた谷のことを思うと岩隈の胸は痛んだ。
後悔はしていない。しかし申し訳なかったという気持ちが無いわけではない。
そんな岩隈の葛藤を、しかし松坂はあっさりと切り捨てた。
「そんなのはお前が気にすることじゃねえよ。お前はお前の意思で楽天を選んだんだろう。
ただ座って待ってるだけじゃ自分の望み通りの未来なんて転がってくるわけねえじゃん。
未来は自分で勝ち取るもんだよ」
松坂のあまりに迷いの無い口調に岩隈はしばし呆然とした。
「そう・・でしょうか・・?」
確かにこれは自分に必要な未来だ。この選択に関しては後悔していない。
しかし、その選択をするに当たって傷つけた人がいることすらも省みる必要は無いのだろうか・・?
「まあ、大輔は多少強引だが言ってることは間違ってないわな。まあ、決まったからにはお前さんは
新天地で頑張ってファンや周りに認めてもらうしかないんじゃないかな」
「そう・・ですね」
和田の言葉に岩隈は今度は笑って頷いた。
そうだ、確かに自分には頑張って結果を残す以外に迷惑を掛けた人たちに報いる方法は無い。

「こちらの客室でお着替えください。着替えが済みましたらすぐにメインシアターの方へお越しください。
開始のお時間が迫っておりますので」

くどいくらい念入りに釘をさされながら松坂は案内された客室へ入っていった。
もちろん部屋の前の和田と岩隈に「待っててくださいよ」というのは忘れずに。
一人だけスーツで行くなんて恥ずかしすぎる。
室内はやはり豪華な装飾や家具で溢れ松坂に溜息を吐かせた。
(こんだけ豪華な船でやるってことはメジャーのスカウトってのも本当かもな)
紙袋の中を見ると、さすがにあのしっかり者の妻が用意してくれただけあって高価そうなスーツが納まっていた。
これならタキシードに見劣りすることも無いだろうと松坂はほっと息を吐いた。
(未来は自分で勝ち取るもの)
先程、岩隈に言った言葉を思い出す。
そう、未来は自分の手で勝ち取るものだ。
焦る必要は無いが座して待っていれば転がり込んでくるほどお気楽には世の中できていない。

(勝ち取るさ、自分の手でな)
MLBでプレーするという夢。そのためならば自分はどんな苦労も犠牲も厭わないだろう。
そして、自分にはその夢を掴み取るだけの力量があると松坂は信じていた。
(勝ち取るさ、自分の手で)
そのための障害があるなら全力で排除する。

胸の内でそう呟きながら松坂は自分を鼓舞するためにやりと笑った。




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