34.彼らの相違点 --------------------



「…凄いな。」
村松は国際客船ターミナルに停泊している船を見上げて思わず呟いた。
『ダイアモンド・プリンセス・シー』。まさにその名に相応しい豪華客船。

…確かにこの船ならタキシードだな。と村松はコートの下に着込んだタキシードを覗く。
普段滅多に着る事の無いそれは、まだ体に馴染まず動きづらさを感じる。
ホテルから出る時からずっと、その着慣れない服を気恥ずかしく思っていたのだが、
実際この船を見上げてしまうと、タキシードで良かったと安堵する。
「有人、どうした?」
既に乗船ゲートの方に向かっていた谷が立ち止まっている村松に振り返った。
村松は一旦船を見上げるのをやめて、冬の潮風に凍えつつ谷の方へと駆け寄る。
谷は豪華客船に驚いている様子も無く再びゲートの方へ歩き出す。村松もその後に続く。
ゲートにつくと、待機していた係員に封筒はあるかと聞かれる。
2人がコートのポケットに入れていた封筒を素直に差し出すと、
係員は慣れた手つきで封筒を機械にかざした。
無機質な機械音がした後、モニターを確認した係員の手は2人を船の方へと導く。
「オリックス・ブルーウェーブの谷様と村松様ですね?
 承っておりますので、このままお進みください。」
笑顔の係員に促されるように、谷と村松はタラップを上がっていく。

「…ブルーウェーブの谷様、か…。」

谷は歩きながらため息をついて、潮風にかき消されそうな声で呟いた。
その小さな呟きは、重い皮肉が込められているように聞こえた。
村松の耳にもその呟きは入ってきたが、何も返す言葉が思いつかず渋い顔で黙り込む。
谷も言葉を続ける事は無く、二人の間に沈黙が漂う。

オリックス・ブルーウェーブは、オリックス・バファローズになる。
天然芝の本拠地はおろか、ブルーウェーブの名も消える事が確定した。
その上ファンは近鉄が消えた、と合併球団を非難し、新球団を応援する。
そんな理不尽な状況の中、谷は今どのような心境なのか。

先程係員に呼ばれた時、村松は何とも思わなかった。
《ブルーウェーブの…》もう、そんな風に呼ばれる事はないと分かっていたのも関わらず。
きっと、ホークスからFAで来た村松には無い、ブルーウェーブの誇りが谷にはあるのだろう。
そんな外様と生え抜きの違いが、二人の間に見えない溝を作る。

潮風がコートをはためかせる音と2人の足音だけが聞こえる中、2人は船の中へと入った。

高級ホテルのような船内。豪華な調度品に囲まれても、村松は先程の様に驚く気にはなれなかった。
メインエントランスにかけられた船内の案内プレートを見やりつつ、考えを巡らせる。

…同じ境遇の岩隈や中村と会えば少しは気が紛れるかもしれない。
村松は今回の五輪会に出席するはずの、アテネでのチームメイトを思い浮かべる。
自分達の「ブルーウェーブ」が消えると同時に、彼らの「近鉄」も消えるのだ。
谷と同じ様に所属球団に誇りを持ち、理不尽な状況に置かれていた彼らとなら、
谷も多少心の内を吐き出せるかもしれない。
外様の自分には言えない何かを、彼らになら言えるかも知れない。
だが、村松はすぐにその考えを否定した。

…岩隈は新球団に…イーグルスに決まったんだ…中村もメジャーだ。
彼らは、自分達が差し出した手を振り払って自分達の球団を去った。
己の意思を最優先にする事が悪いとは言わない。それが吉と出る事もあるのだから。
しかし彼らは……自分達の事を少しでも考えてくれただろうか?
彼らは己の道を決めるのに必死だった。だが、自分達も必死だったのだ。
特に谷は、自身の契約更改を後回しにしてまで若きエースに手を差し出していた。
その手が無残に振り払われた時、果たして谷は何を思っただろうか?

「ああ、メインシアターはここか。」
「……は?」
突然の谷の声に驚いた村松は、谷がプレートに指し示した辺りを慌てて覗き込む。
「他にも色々あるんだな。まだ時間もあるし、少し船内を回ってみるか?」
谷は左手につけた腕時計を見やりながら、村松に問いかける。
「あ、ああ…そうだな、指定された時間までにメインシアターについていれば問題ないだろう。」
先程の呟いた時よりずっと明るい谷の声に違和感を感じつつも小さく頷く。
谷の表情には何の曇りも無い。何の緊張も、不安も感じられない、にやけ顔。

…俺の考え過ぎか?それとも、気を使わせてしまったか?
どちらにせよ深く考え込むのは自分の悪い癖だ、と村松は反省する。
こんな船に乗れるなんて滅多に無い事なのだ。暗い事ばかり考えてもしょうがない。
村松は一つ深呼吸をして、谷に精一杯の笑顔を向けてみせた。
「…有人、どうした?何か、顔が固いけど…悩みでもあるのか?」
怪訝そうな表情と共に返された同級生の言葉に、固い笑顔は苦笑いへと変わる。
「俺でよければ、相談に乗るけど…?」
「…いや、いい。」
無愛想に答えると、村松は颯爽と船内を歩いていく。谷も不思議そうな表情でそれに続いた。




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