33.消えた疑念 --------------------



「これが・・会場のある船か。でかいな・・」
目の前にそびえる(当にそびえると言う表現が相応しいような)巨大客船ダイアモンド・プリンセス・シーを眼前にして
和田毅(FDH21)はしばらく言葉を失った。
全長290m、全幅37.5m、総トン数116,000トンの白亜の美しい船体が静かに横たわっているさまは当に圧巻と言うに相応しかった。
(こんなのチャーターする金があるなら各球団に援助でもしてくれればいいのに・・)
彼のいた球団は資金不足で先日身売りしたばかりだ。
幸い良い親会社がついてくれたおかげでバファローズのような最悪の事態は避けられたが。

(写真とって後でスギや渚に送ってやろうかな)
こんな豪華客船に乗ったなんてこと知ったらあいつら悔しがるだろうな、と和田は同じチームの悪友たちを思い浮かべ小さく笑った。
それにしても寒い。
海から吹き付ける風は冗談ではなく身を切るような冷たさで
和田はコートのポケットに両手を突っ込み首をすくめて寒さをやり過ごした。
早く風が防げるところに入ってしまいたかったが
初めての場所に(しかもこんな豪華客船に)一人で入っていくのはさすがにためらわれ、
また五輪会も初めての経験だったため事前に同じチームの城島健司(FDH2)と船の前で待ち合わせをしていたのだ。
(みんな元気かな?)
船を見上げながらあのアテネの夏空の下で共に戦った同胞のことを思う。
先日の東京フレンドパークの撮影の際、何人かとは再会を果たしたがそれでもまだ会えなかった人のほうが多い。
あの押しつぶされるようなプレッシャーや焦燥感はもう二度と体験したくないと思ったが、
終わってしまえば懐かしく思い返すことも多かった。
なにより自分は良いピッチングが出来たと自信と誇りと充足感を持ってあの夏を振り返ることが出来る。
結果は決して満足のいくものではなかったが最後に勝ち投手になって終われたことは自分の中では大きかった。
(あれで、俺は完全燃焼できたんだよな)
そう思うと自分は幸せだった。
ただ自分より年長の選手たちは金メダルを逃したことを非難され、そしてそれ以上に自分を責め苦しんだ。
彼らがどのくらい真剣に野球に取り組み、どれだけ必死に期待に応えようとしたか、
そしてあの舞台で普段通りの実力を発揮するのがどれほど難しかったかを知っているだけに胸が痛んだ。
(みんな元気になってるといいけど・・)
こんなことを思うのは傲慢かもしれないけれど、そう願わずにはいられなかった。

(ジョーさんはまだかな?)
かじかむ手に息を吹きかけながら辺りを見回すが、周囲には城島どころか他の選手も誰一人として見当たらない。

(…?みんなもう船に入ったのか…?)

そこで和田は初めて違和感に気づいた。
人がいなさ過ぎるのだ。
選手はもう船に乗り込んだにしてもマスコミや関係者、
または五輪会に関係ない一般の横浜港の利用者までまったく見当たらないのは不自然すぎる。

(どういうことだ…?)

閑散としたターミナルを見渡しながら和田は眉間に皺を寄せ考え込んだ。そもそもこの五輪会は不審な点が多い。
野球選手だけが招待されたこと。開催日が多くの選手が自主トレ期間中であろう1月に設定されたこと。
説明の無い強制参加。それを破れば重大な罰則が下されるという脅迫めいた追加文。
前回の五輪経験者である杉内に聞いてみてもシドニーではこんなことはなかったと言う。
フレンドパークの収録で久々に再会した三浦や宮本もこの五輪会には疑問を感じているようだった。
もっとも上原は長嶋監督が来るから体面上強制参加を課しているだけだろうと言っていたが・・・

先程まで圧倒されるばかりだったダイアモンド・プリンセス・シーはその堂々たる美しい巨体を変わらず静かに佇ませていたが、
周囲の寒々しいまでの閑散さも相まって今度は不吉な印象を和田に与えた。
そういえば同僚の杉内やフレンドパークで再会した岩隈がしきりに嫌な予感がすると繰り返していたのが今更ながら思い出され、
和田の胸中に暗い影を落とす。

(そういえば、皆やけに五輪会に対してネガティブだったよな・・?)
五輪会に出席する全員とそのことについて話したわけではない。
だがフレンドパークの出席者、宮本・三浦・清水・小笠原・岩隈・石井−上原に聞いた話では
高橋や黒田もこの会に対して消極的だったらしい。
責任感の強い面々だからアテネで十分な結果を残せなかったことを未だに引きずっているのだと思っていたが・・
皆、言葉では言い表せないような不安を感じていたのだとしたら・・?
和田はもう一度、ターミナル内を見渡した。
やはり人っ子一人、マスコミも一般客も港関係者さえもいない。誰一人存在しないのだ。
和田は瞬時に鳥肌が立つほどの恐怖に似た不自然さを感じた。
(やっぱりおかしすぎる・・)
誰もいないなんてありえない。

「おい」
次の瞬間、不意に何者かに後ろから肩を叩かれ和田は飛び上がらんばかりに驚いた。


「ひっ!」
「なんだ・・その驚きようは」
そこには城島が憮然とした表情で立っていた。何のことは無い待ち合わせをしていた城島が到着したのだ。

「なんだ・・ジョーさんですか」
「なんだとはなんだ。人を化け物のような顔で見やがって」
ほっとした和田に対し城島は苦笑しながら冗談交じりに毒付いてみせる。
「あはは・・すみません。考え事してて。」
「なんだ?考えすぎるのは相変わらずか。何をそんなに考え込んでいたんだ?」
「あー・・いえ、大した事じゃないです」
和田は曖昧な表情で先程まで考えていたことを誤魔化した。
城島と会ってほっとしたこともあり先程までの不安や疑念が急に子供じみたものに感じられ、
わざわざ言葉にするのもためらわれたからだ。そう、何もかも確証の無いことだ。
自分の早とちりかもしれない。別に騒ぐようなことじゃない。
城島は不審そうな顔をしたものの特に追求することは無く二人はそのまま他愛も無い話をしながら船に向かった。

和田には城島と会ったことにより子供っぽい不安で騒いだり動揺した姿を見せたくないという『見栄』が生まれ、
同時に「城島さんがいれば大丈夫」という無意識の内の『甘え』が生まれた。
この相反する感情は城島という絶対的な存在に支えられているホークスの若手投手陣全体にいえることであり
彼ばかりを責める訳にはいかない。
しかし、もしここでもっと慎重になっていれば。または感じた疑念や不安を率直に話していれば。
あるいは未来はもっと変わっていたかもしれない。

だが先程までの不安はすでに無かったかのように嬉々としてダイアモンド・プリンセス・シーに乗り込む和田には知る由も無いことであった。




戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送