29.胸騒ぎ --------------------



結局来てしまった。

冷たい海の風が頬を叩く。安藤優也は、後悔と疑念を抱いたまま横浜港に到着した。
目の前には豪華客船、ダイアモンド・プリンセス・シー。
「来たくなかった」というのが正しいだろう。五輪に関して、チームとしてもそうかも
しれないが個人的にも、いい思い出は実際のところ無い。戦力になりに行ったのに、
勝ちに貢献しに行ったのに、何も出来ないままアテネの夏は終わった。悔しいというより
自分に呆れた。春先から思う通りに投げることが出来なくて、裏切られっぱなしの自分に
とどめを刺された感じ。とてつもない虚無感と劣等感が彼を襲った。
準決勝で敗れて、3位決定戦ではみんな解き放たれたように溌剌なプレーで銅メダルを手にした。
世間とは関係ないところで束の間の自己満足をした。彼はその中にも入れなかった。
それから暫く引きずった虚無感と劣等感は癒えはじめ、少しずつ五輪のことも忘れかけていた折、
招待状は届いた。

妙だと思った。
直接家に届くあたりや、1月という時期、それに別刷りの追伸に刻まれた「強制参加」の文字。
「五輪」という文字に反応し再び襲った心痛もあいまって、この会に参加することに気が進まずにいたのだった。
しかし、来てしまった。当たり前のように誘い合わせの電話をかけてきた彼に流されて。

「おーい入らへんの?」
藤本敦士が振り返って自分を呼ぶ。彼はいかにも寒そうに小さな体をよりちぢこませて、
ぴょんぴょん跳んでいる。
「ごめん」
「おう。あー着慣れんわこんなん」
しかめっ面で縮めた体をよじらせる。コートの下はタキシードなのだろう。安藤自身も着ている。
こういうの俺たちには合わないな、と返事を返す間もなく次の一言が飛んでくる。
「でかすぎちゃうこの船」
いつもとなんら変わりなく、寧ろ楽しみにしている様子の藤本。彼は、此処へ来るのに迷いは
なかったのだろうか。それ以前に、この招待状に引っ掛かるところはなかったか?
怪しいとは思わなかったか?
「なあ――」
「ん?」
「あ、いや」
ずっと聞こうと思っているが、結局聞けないでいる。心のどこかでストップがかかる。招待状のこと。
藤本は首を傾げたが、深く問うようなことはせず、前を向くと封筒を右手の人差し指と中指で挟んで
ひらひらさせながら絨毯の通路を歩いていく。
「久しぶりやなー、みんなで会うの」
「そうだな」
考えないようにしよう。此処まで来たんだから。パーティを楽しもう。そうしようとする毎に、頭の中が
其れでいっぱいになる。

胸騒ぎとはこういうのを言うのだろうか。

「あー俺もフレンドパーク出たかったなー」
藤本がダーツの矢を投げるジェスチャーをした。

その手に持った手紙がひらりと舞って、落ちた。




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