147.大誤算 --------------------



冷たい空気が流れる廊下。何度も俺じゃないと叫ぶ松坂の声が耳を通るが、
小林にとってもはやそんなことは、言葉の意味も真実もどうでもいい事だった。

一一光は消えた。俺を照すたった一つの光はもう消えた。
清水という光が消えた今、己に有るのはただ絶望的な真っ暗闇。
暗闇は想像を絶する苦しみであり、その暗闇の中でもがき、暴れるしかない。

一一誰が俺から光を奪ったか、なぜ光は消えてしまったか。
そんなことはもうどうでも良い。
光は消えた。二度と己を照してはくれない。己に残る現実はただそれだけ。
小林はただ無言で銃を向けたままゆっくりと後を追う。

「小笠原さん!逃げてばっかじゃしょうがないでしょ!」
「…逃げなきゃ撃たれる。死にたくないというなら言う通りにするんだな。」
小笠原の厳しい眼光は、駄々をこねる松坂を黙らせるに十分であった。
「…お前の姿言葉はあいつをさらに狂気に追い込むだけだ。…俺が話そう。」
「そんなことっ…もし雅さんがカッとなってあんたに発砲したらっ…」
その時はその時だ、と小さく何とも言えない静かな笑いを浮かべる小笠原。
「…あいつの狙いはただ一つ…清水の仇を取る事だけだろう。なら俺なんか眼中にもないはずだ。つまり…俺を狙撃する気さえ無いだろう。」
「それは…」
「お前の存在はあいつを説得するのに邪魔でしかない。お前はここで待機してろ。
…俺一人で話してみる。お前と一緒だと説得できるものもできないし、危険でしかない。」
そんな小笠原の言葉は最もであり、松坂は黙り込む。
「なにより…俺はあいつも救いたいんだ。だからあいつと二人で話をさせてくれ。
あいつを説得さえできれば…あいつも救う事ができるはずだ。」
「…分かりました。」
心配ではあるが、小林も救いたいという小笠原の言葉に松坂は渋々と頷く。
「小笠原さんっ…気をつけて。少しでも危険を感じたら頼むから俺のところまで逃げてください。俺はここに居ますから…」
「ああ…お前もここから動くなよ。」
心配そうに何か言いたげな松坂を残し、小笠原は極めて軽い口調で笑うと、
松坂を教室に残し、足音が聞こえる方向…小林らしき影が動く方へ走り行く。

「小林…頼むから話を聞いてくれ。」
無機質な表情のままピタリと足を止める小林に、小笠原は向き合う形で立ちはだかる。
「…松坂は清水を殺していない。殺したのは…おそらく上原だろう。」
小笠原の言葉に、小林は眉一つ動かさずにただ銃口を向けたままだ。
「松坂の話を聞くかぎり、だけど…な。お前は…上原に言われたんじゃないか?
松坂に脅されてか、そそのかされて清水を殺してしまった、とでも。」
今の言葉になら多少の反応を見せると思ったが、小林の無機質な表情は何も変わらず、
言葉自体聞いているのかどうかというほど無反応で、小笠原は思わず首を振った。

「小笠原さん。」
やっと言葉を発した小林の声は寒気がするほど静かであった。
「死にたいと願ってたあんたが今、あいつを庇う理由は一つ…あいつを助けたいんでしょう?」
「…どうせ捨てるつもりの命だ。それなら松坂と…なによりお前を救いたい。」
固い絆で結ばれていた小林と清水の姿を思い出し、悲痛に呟く。
「俺は…何もかもが…全てが憎い。ナオが消えたこの世界の…生きているもの全てが憎い。」
「小林……」
思わず小笠原は絶句してしまう。

(これは…大誤算だ。)
もはや小林にとって松坂か上原かはどうでもいいことで、清水という大事な仲間を失った現実しか残っていない。
これでは松坂は無実だ何だと訴える事自体の意味が無くなる。
(誤解を解けば…説得すれば何とかなると思ってたが…)
軽率であったと小笠原は軽く舌打をした。
「お前と清水の絆をこの目で見たというのに…。人と人の絆を軽視してしまってた…」
清水という大事な者を失った小林に対し、松坂はやっていない、
上原のしわざだと言ったところで救われるはずもなければ、問題が解決するわけでもない。

「清水を失ったお前にとって…真実など何の意味も無い…何でそんなことが分からなかったのかな…俺としたことが…」
今更ながらに己の大誤算にただ後悔するしかない小笠原に、小林は再び頷く。
「…やっと気がついたようですね。俺に残るのは後悔と憎悪だけ。」
一見憎悪とは無縁のただ静かな表情がかえって小林に住まう闇の大きさを露にするようであり、小笠原は息を飲む。

「このゲームは酷くて汚くて真っ暗で…でも、ナオと一緒にチームに帰る、
ナオと一緒に優勝する…そんな希望と誇りが俺を照してくれていた。
だから進む事ができたんだ。でも…希望と誇りは奪われた。ナオを奪われた。」
淀んだ瞳はもう何も映す事はないのだろう。そんな絶望的な表情で小林は続ける。

「ナオは居ない…もうあれほど帰りたかったチームへの帰り道はもう見えない…
あれほど優勝したかったのに…優勝がどんなもんかさえもう…考えつかない。」
一瞬だけ虚ろに視線を宙に浮かせ、小林はつぶやいた。
「ナオの仇をとるのは他ならぬ俺のため、ですよ。残された俺が自分のためにやること…」
「小林……」
目の前の銃口を向ける小林は、表情という表情が消えうせたまま、
いつの間にか静かに両目から涙を流しており、小笠原は思わず目を見開く。

「俺を誇りに思うと言ってくれたナオが居なくなって…
ナオという誇りを砕かれた俺が…俺だけが何で生きているんですかね…」
今までの無機質な表情から一転し、緩やかに笑いだす小林に、小笠原は驚愕で目を見開く。
「小笠原さんは、俺を救いたいと言ってくれましたね…だったら…」
「……小林っ」
手にある清水の形見となった拳銃を受け取れと言わんばかりに押し付ける小林に、小笠原はさらに目を見開いた。
「…俺を殺してください。この苦痛に対してどうすればいいか…死ぬ事で逃げるか…
死ねないなら…苦痛を紛らわせるためにナオが死んだ、という事への復讐だと暴れまくるしかない…」

「……」
小笠原はただ絶句するしかなかった。絶望による苦痛で表情という表情が消え去った
小林を殺す事が救いであり、当人もそれを望んでいるのなら、そうすべきかもしれない。
(だからって…俺に殺せというのか?)
冗談じゃない。小笠原は首を振る。誰かを犠牲にしてまで生きたくはない。
ならば自分で幕を閉じようと死に場所を探し求める自分に、小林は殺してくれと言うのだ。
「駄目…ですか?なら…俺は進むしかない。死ぬまで暴れまくり、
手当たり次第殺しまくってやる…あんたはそれでいいのか?松坂を助けたいなら…俺を撃て。」
「小林……」
相変らず無表情ではあるが、その瞳は救いを求めるかのように見え、
小笠原の瞳も揺れるが、それでも己の手を血で染める事だけはできない。
「……どうしても…駄目、ですか。」
強い力で銃を押し戻され、想像通りだと言いたげにつぶやく小林からはドス黒い、
禍々しささえ感じる気があふれ出し、小笠原は思わず身を強ばらせる。

今まで味わった事もないような、恐ろしくも苦しい、哀れゆえに苦しい空気に押しつぶされるように小笠原は瞳を揺らした。

「…まあ、あんたは誰かを傷付けるくらいなら、自ら死んでやるという考えでしたしね…そうか……」
落胆のため息を漏らすなり、小林は小笠原に押し付けていた銃を離し、
素早く銃口を向け直すと、小さく肩を竦めた。

「じゃあ…死んでください。」
引き金にかけた指に力を込めたのを見たと同時に、つんざくような銃声音が響く。
「…く…っ。」
激しい痛み。夥しく血が広がる腹部の右上部分を抑えながら、小笠原は膝を付いた。
「あんたはもともと…生きるつもりは無いはずだ。なら…いいでしょう?」
「こ…ばやしっ…」
後悔してもしきれない大誤算。あまりに軽率すぎた己の考えに首を振る。
清水を失った救いようの無い闇を軽視し、説得すれば救えると考えていた大誤算。
撃たれた痛みではなくそんな後悔で小笠原は眉を歪めた。
「…建物の中だと銃声音は余計に響くものなんですね。」
バタバタと激しく響く足音。
おそらく銃声を聞きつけた松坂の足音であろう廊下を駆け抜ける音に、小林はまるで他人事のようにつぶやいた。
「……」
擦れた声で名を呼ぶ小笠原は血まみれの腹部を抑えたまま、膝を突く。
そんな小笠原にチラリと視線を送る小林の表情からは
既に緩やかな笑みは消えうせ、何も映し出さない表情に戻っていた。

【小笠原道大(2)・小林雅英(30) H−4】




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