145.最期の一秒まで --------------------



「…褒められて腹が立つということも…あるんだなぁ。」
ふらふらと、それでも何とか立ち上がった和田に、岩瀬は目を細める。
「おっ、立ち上がりましたか。そうでなくちゃ。」
嬉しそうに笑う岩瀬に、岩隈は限界がおとずれたかのように泣き始める。
「あんたが斬られてもうヤバめの状態なのに、そういう気力って凄いんですねぇ。」
この刀は確かに和田の骨にぶつかった。つまりそれだけ深く斬ったのだ。
それでも立ち上がる和田を支えるのは気力のみなのだろう。
「…岩隈を一度守ろうと決めた…んだ。決めた事は…とことん…」
「とことんやる、ですか…って、0時か…ちっ…こんな時に…」
岩瀬はペンをとりだすと、流れる悠長な曲と、悠長とはほど遠い星野の声に舌打する。

「誰が死んだかなんてどうでもいいから早く禁止エリアを言えよ…
ああ、逃げようなんて思っても無駄ですよ。まあ…その傷じゃ無理でしょうけど。」
さっさと禁止エリアを殴り書きした岩瀬は、後に続く星野の言葉などどうでも良いとペンをしまい込み、ふらつく和田と岩隈を見る。

「メモしたことですし…じゃあそろそろ殺り合いますか。」
「もうっ…もう嫌だっ!嫌だあっっ…!」
ニコリと笑う岩瀬の姿に、岩隈は何とも表現しがたい悲鳴をあげると、泣き叫びながら頭を抱える。
「和田さん、ごめんなさい…目が覚めたら謝りますから…もう…嫌だっ!嫌なんだよっ!」
明後日の方向を見ながら、ぶつぶつとつぶやく岩隈は、悪夢からまたも逃げ出すように、
首を振りながら和田に視線を合わせないように一目散に走り去ってしまった。
「あーらら。逃げちゃった。ちょっと酷いですねぇ。」
岩瀬は笑いながらつぶやくが、それは本心からの言葉であった。

「…良かった。」
「え?」
ぽつりとつぶやく和田の表情には怒りや落胆は一切無く、ただ心底から安堵したような柔らかい表情であった。

「これで…あいつはひとまず助かった…良かった…逃げてくれて…」
皮肉でも強がりでもなく本心から、本当に良かったと小さく笑う和田に、岩瀬はしばしポカンとするが、やがて腹を抱えながら大笑いする。
「あんた…凄いな。いや、本当に…想像以上にあんたは価値ある人だ。」
素晴らしい、と岩瀬は身を震わせると、和田に出会えた事に感謝するように血糊の付いた刀をかかげ、ゆっくりと眺める。

「…決めた。この刀はあんたのように価値ある人しか斬らない事にする。価値のない奴には…他の武器で十分だ。」
「岩瀬…お前は…」
豪華客船で唖然とする面々の中、いち早く淡々と受け入れた岩瀬の姿を思い出す。
「…俺が死ぬのは…しょうがない。でも…できるなら…俺だけにしてほしいな…」
「そりゃ無理ですよ。これからあんた以外の誰とも出会わない筈ないし。」
あっさりと却下する岩瀬に、和田は小さなため息をつく。
「死ぬのはしょうがないけど…結局助けられたのは岩隈だけ、か…もう少し…たくさんの奴を助けたかったな…」
手にある救急箱をぐっと抱えながらつぶやく和田は、さらに続ける。

「なあ…俺はどのみち…長くない。実際もう…なんか頭がぼんやりしてきたし。」
「そりゃそうでしょ。ていうかよくまだ意識があるなぁって思うくらいですよ。」
まるで自分は何も関係が無いように、妙に感心した口調で岩瀬は肩を竦める。
「別に死ぬのは怖くは無いけど…一秒でも長く…要はまあギリギリまで生きてたいわけだ。」
「分かるような分からんような、ですが…で、どうしろと言うんですか?」
「トドメを刺すのはやめてって事だ。そのうち勝手にくたばるまで待って欲しい。」
「ええ〜、そりゃ無いでしょ?こいつであんたを殺すのを我慢しろというんですか?」
そんなあ、と間延びした非難の声をあげる岩瀬にとうとう和田は笑いだす。
「…そこをなんとか、ってやつだ。…孤独に死ぬのも何か寂しいしな。暫く付きあえよ。」
そんな薄れ行く思考の中でも、一つの最後の目論みがあった。
(俺がこうして…一秒でも長くこいつを…岩瀬を引き止める事で…もしかしたら…この先、岩隈が助かるかもしれない…)
逃げた岩隈がさらに岩瀬から離れる事ができる…それだけであった。

(一秒でも長く…岩瀬を留まらせる…それが…俺が最後に出来る…人助けだ。)
もう自分は長くない。ならば死に行くその時まで、最後の一秒まで
誰かの役に立つ事ができれば…ふらつく頭で考える和田を、岩瀬はじっと見下ろす。
「…まあいいでしょう。敬意を払うというやつかな。あんたはその価値がある人だしね。」
和田の最後の目論みに気がついたか気がつかないか分からないが、
岩瀬は和田の隣に座ると、残念そうにため息をついた。
「まあ、始めてこの刀で斬った相手があんたで良かったですよ。
しょーもない奴とかじゃなくてよかった。どうせならトドメ刺したかったけど…
ねえ、やっぱトドメ刺しちゃ駄目ですか?」
未練がましく、うずうずするように言う岩瀬に、和田は苦笑する。

「…俺の最期の時、側に居るのは誰か…よくそんな事を考えてたけど…
まさかお前みたいな…イカれた奴とはなぁ…まあ、俺もイカれてるのかな…
こんな時に…こんな死に方をするのに…」
月はもう滲んでよく見えなくなってきた。歪みゆく視界、遠ざかっていく風の音…
「こうして…笑って…るんだから、な…」
和田は今一度小さく笑うと、滲む視界に映る時計の文字盤を眺める。
0時30分。
予想よりも遥かに持った。予想よりも長く岩瀬を留まらせる事ができた。
(岩隈は1メートルでも遠く逃げる事ができたはずだ。)
自分は最期の一秒まで誰かを助ける事ができた。
最期の一秒まで無駄にせず、誰かの役に立てた。

(…もう少し…いっぱい助けたかった…けど…やれることは…やれた…)
それだけでも自分は…そう考えると自然に笑みがこぼれるが、
もう和田自身、それを感じる事も把握することもできず…
その瞳は閉じられ、ただ静かな永遠の眠りについていた。

【岩瀬仁紀(13)D−3】【和田一浩(55)・死亡 残り17人】




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