144.壁に包まれた世界 --------------------



ホテルの地下駐車場。本館と繋がるエレベーターの前。
吉見祐治は着実にここへと下ってくることを示す明かりを見つめていた。
時刻は10時半過ぎ、シーズン中であれば今頃はチームメイト達と共に食事に行こうとしている頃だろうか。
パッ、と頭上の『B1』と書かれた場所に光が灯る。
一歩下がり、扉が開く。

「うぉ。やぁ、お疲れ。」
「お疲れ様です。って『うぉ』って何ですか。」
「いやまさか目の前に居るとは思わなかったから・・・。」

ゆっくりとした口調でそう話しながら、渡辺俊介は朝吉見が会った時と同じく、灰色のコートを着ていた。
歩き出した渡辺の右側に吉見が並ぶ。ゴムの靴底が地面のコンクリートに着いては離れる妙な音が駐車場に響く。

「俺もまさか俊介さんが寝てるとは思わなかったですよ。」
「俺もまさか寝るとは思わなかった。ちょっと横になっただけだったし。」

よほど疲れてたんですね、吉見が呆れたような笑いでそう続ける。
その吉見の言葉に少々不満を感じつつも、渡辺は辺りを見渡す。ここまで乗ってきたBMWを見つけると、吉見に対して小さく手招きした。
コートのポケットを2、3度探って鍵を取り出し、運転席側の錠前を開ける。
吉見は興味深そうに車を眺めていた。そして先に渡辺が乗り込むのを確認してから、自分も助手席へと座った。

「でもまぁいい眠気覚ましになったからいいかな。こっから野田達の所まで結構あるでしょ?」
「まぁ1時間掛かるか掛からない程度ですかね。」
「んー、夜中にドライブか。相手がお前じゃなかったらもうちょっと気分がいいけど。」
「嫌味とか止めてくださいよー。」

苦笑いを吉見が浮かべる。渡辺はバックミラー越しにそれを見ながら、鏡の角度を確かめた。
扉から引き抜いた鍵を今度はエンジン起動の穴に差し込む。
馬が一瞬吼えたような音がして、徐々にエンジン音が安定する。
シートベルトを閉めて、シフトポジションをパーキングからドライブに切り替えると、アクセルをゆっくり踏んだ。

「俺この辺よく分かんないから曲がる交差点に差し掛かる前に曲がるーとか言ってね。」

かちんとベルトの金具をはめる音の後に、吉見の返答が聞こえ、渡辺は駐車場の出口に向かった。

「で、どうだった?」

夜の横浜は静けさとは少し離れながらも、昼間の喧騒さは姿を消している。
街灯が移り変わっていくのを横目に、渡辺は吉見に声をかける。

「一応三浦さんの所だけじゃなくて、相川さんの所にも行ってみました。」
「で?」
「やっぱり両方の家の近くで最近電柱に登るような工事が何件かあったみたいです。」

直線の道路。右手でハンドルを持ちながら、渡辺は左手の親指で唇を触る。

「相川・・・さん?の家にも電話してみた?」
「はい。・・・あ、でも相川さん独身だから誰も出ないのは当たり前かぁ・・・。」

一人で納得しながら、吉見は頷いた。渡辺は聞かなかった振りをする。
速度を保ったまま、車が移動を続ける。ちらりとバックミラーを覗くと、黒い塗装のセダンが後ろについて走っていた。

(『通話規制』か。工事しなきゃ規制は掛からない、って沖原さんは言っていたな・・・・。)
じゃあ誰が何のためにわざわざ工事してまで通話規制を掛けた?しかも連絡機会の多い野球選手の電話番号に?
何のため、と言えば連絡を取らせないためだろう。だったら、何故連絡を取らせないようにしたのか?
チームメイトと連絡を取られると何かまずい事でもある、と誰か考えたんだろうか。さっぱり意味が分からない。
渡辺は軽く座席に背をもたらせると、短く溜息をついた。

「・・・・こ、右に曲がってください。」
「ん?あ、えっ、どこ?」
「そこです!今!」

その瞬間、ぼんやりとしていた渡辺に吉見の声がようやく届く。右に曲がれ。
慌てて指示器を出しながら、ハンドルを切る。
こんな時に警察が待ち構えていたら減点されていたかも知れない。曲がりきった後に渡辺はほっと息を吐いた。

「ごめん、吉見君。ちょっとぼーっとして・・・」
「俊介さん、後ろの車変ですよ。」

渡辺の言葉を狭そうに後ろを伺い見ていた吉見が遮る。
後ろ?と渡辺は再びバックミラーを覗く。後続車両は何てことのないハイヤーにしか見えない。

「どこが?」

尋ねる渡辺。吉見はポケットから携帯電話を取り出しながら、渡辺を見た。

「さっき俊介さんウィンカー出すの遅れましたよね?」
「うん。」
「後ろの車、俊介さんが出した後に出したんですよ。」
「ん?後ろのハイヤーも俺と一緒にぼーっとしてたんでしょ。」
「横浜ナンバーの車は俊介さんより道知ってないとおかしいでしょ。ましてや黒塗りのセダンとかハイヤーかも知れないのに。」

吉見が語尾を強めながら話す。バックミラー越しに見える車はぴったりと自分達の後ろに着いてきている。
今から向かうのは東京、しかもこれからが夜の本番だという時間帯なのだから別段行き先が一緒でもおかしくはないだろう。
コートの左ポケットから所属チームの親会社が出している眠気覚ましのガムを取り出し、渡辺は1枚抜く。

「横浜ナンバーの車が俺より道知ってなきゃいけない法則ってないだろ。気にしすぎー。」

吉見は不服そうに差し出されたガムを受け取りながら、携帯電話を開いた。
もう1枚ガムを取り出し、渡辺は包装を解く。暗がりでよくは見えないが灰色をした薄いそれを口の中に入れる。
ゴミを灰皿に捨て、ラジオの電源を入れた。陽気な男性DJが聞き取れないほどの早口で話しているのが耳に入る。
しばしそのラジオ番組を流した後、CMになったため音量を下げた。
携帯電話を眺めていた吉見が、ふと渡辺の方を向く。

「俊介さん。」
「なに?」
「野田さんがメール返してもらってないって言ってますけど。」

え?と思ったところで信号が赤になる。
ナイスタイミングと思いつつ、シフトチェンジをしてサイドブレーキを上げてからズボンのポケットに仕舞った自分の携帯電話を取り出す。
片手で開くと不在履歴5件と未開封メールを示すマークが画面に映し出されていた。
履歴を見る。5件中2件はそれぞれチームメイトからだったが、3件は野田の名前が書いてある。
未開封メールは野田からの1件。届いた時刻はちょうど転寝をしてしまった時ぐらいだ。

「・・・・ごめん、見てなかった。」
「読みましょうか?信号もうちょっとで青に変わるでしょうし。」
「あ、頼む。」

吉見の読み通り、赤が青へと一瞬にして変わった。
再び走り出す車の中で吉見が野田から渡辺へ出したメールを読み上げた。

「『渡辺、阿部と石川が読売の滝鼻オーナーから暗号みたいなデータをもらった。でも意味が全く分からん。
  なので至急こっちに来い。一応、暗号の写真を送っとく。 野田
  PS、石川が一旦家に帰るというので古田さんにも暗号を見てもらうことにした。ただ今日は遅いから明日になるらしい。 野田』」
「・・・何で2回も名乗ってるんだろうね。野田は。」

渡辺が呆れたようにそう言うと、吉見は噴き出した。

「んー・・・暗号みたいなデータねぇ・・・・。」

『滝鼻オーナーから』にも引っかかる。もしかして滝鼻オーナーは、あの『五輪会』について何か知っているのだろうか?
だったら何でわざわざ回りくどく『暗号みたいなデータ』を阿部君と石川君に渡した?何かあるなら言えば・・・。

(・・・・『言えない』事が起こってる・・・?)

不可解な言葉が多すぎる『五輪会への招待状』。
記録に残っていない『ダイヤモンド・プリンセス・シーの寄航』。
そして、滝鼻オーナーが渡した『暗号みたいなデータ』。
全ての出来事は何かを隠しているようだ。
じゃあ、何が隠れている?

バックミラーを見る。後続はまだ黒色の車だ。


「・・・吉見君。」
「はい?」
「今から言うことをメールにして野田に送ってくれる?」

(もしかすれば、俺達は途轍もなく大きなものを目の前にしているのかも知れない―――)

渡辺はハンドルを両手で握り、アクセルを踏み込んだ。
目の前の道は闇に紛れて、よく見えない。


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