133.覚醒 --------------------



何かが割れた音…それは頭の中のほんの僅かに残る自我というものが
崩壊する音であり…小笠原は心地よさそうにため息をつく。
(もう…俺は…)
この蟻地獄から解放される。限界を越えた今、精神の終焉という形で、
このゲームを終える事ができる。
(これで、もう…)
誰かに殺されたいと願う必要もなく、もがく必要もない。
眠りに入る瞬間の、あの心地良い感覚に身を任せるように小さく笑う。
「……」
だが、虚無感に浸る間もなく、校門の方からばたばたと煩い足音が聞こえ、
小笠原は現実に引き戻されるように目を開いた。
「…っと、小笠原、さん…」
息を切らせてやって来たのは松坂であった。
そんな姿に小笠原は絶望に近いため息を漏らした。
(やっと…終わる事ができると思ったのに…)
あと少しで消える筈であった自我は、松坂という第三者の出現のせいでこうして辛うじて残ってしまった。
「…あの…大丈夫ですか?」
どう見ても様子がおかしい小笠原に、松坂は声をかける。
「…お前のせいで終わる事ができなくなった。」
「は?」
何が何だかと首を傾げる松坂に、小笠原は小さく笑った。
「逆恨みというヤツだが…お詫びとして、俺を殺してくれ。」
「なっ…」
唐突な言葉に、松坂は絶句するが、やがて癇癪起こすように壁を叩き付ける。

「何だよ!みんなして!殺しただの、殺してくれだの!」
「ま、松坂…?」
突然キレ出す松坂に、今度は小笠原がポカンとした。
「俺は…俺は殺してない…」
「…何があった?」
つい先程まで、なにもかもが崩れ去る瞬間に立っていたというのに、
己の精神は思ったより図太いらしく、松坂の様子が気になった小笠原は、ひっそりとそう尋ねた。

「…長くなるけどいいですか?俺と上原さんは診療所に行った。
そこには小林さんとナオさんが居た。睡眠をとりたい事もあって、
まず俺は別室、小林さんは診察台で眠った…」
「それで?」
「何かすげぇ物音が聞こえて、目が覚めた俺は、音がした部屋に飛び込んだ。そしたらそこには…血を流して死んでいるナオさんが居て…」
「……」
小笠原は無言のまま身を乗り出す。
「ナオと俺を殺そうとしたって、雅さんにいきなり発砲されて、
何が何だか分からないまま逃げた…」
そこで一息つくと、憔悴しきった顔を上げ、松坂は小笠原を覗き込む。
「…この場合、誰がナオさんを殺した事になるんですかね?」
「…小林じゃない、お前でもないというなら…後は一人だろう。」
そんな小笠原の言葉に、松坂は絶望的な表情に変わる。
「やっぱり…そうなるんですよね。上原さんの姿は無かった…
それは診察室で寝ていた、とか、俺が置いていっただけ、とかじゃないですよね。」
「…残念ながらな。それよりも…小林は清水と自分を殺そうとしたとお前に言ったんだろう?つまり…」
あまり考えたくない事だが、と小笠原は一息置いた。
「上原が清水を殺し、たぶんお前がやったと言ったのかは知らんが、
お前のせいにして逃げた。それを信じた小林は、お前に発砲したとなる。」
「やっぱり…そうなんですね。俺は…騙されていたというわけですか。」

唇を噛みしめ、松坂はつぶやく。
最初上原と出会った時の、嫌な予感というのは当たっていたのだ。
「上原さんも、こんなゲーム乗る気無いって言ってたから…それを信じたかったから…でも…それも嘘だったんですかねぇ…」
「……」
いくら強心臓の怪物と言われてる松坂でも、まだ若い。
上原の裏切りは堪えたらしく、すっかり意気消沈して俯いた。

「小笠原さんは俺の話、信じてくれますか?俺はナオさんを殺してない、と…」
「…正直、俺からすればもう…誰が死んだ、殺したはもう沢山だ。信じるも信じないも…それさえももう沢山だ。」
「……」
突き放す言葉に、松坂はさらに落ち込むように肩を落とす。
「…けど、俺がどうとかよりもだ。」
バランスを崩しきった筈の己の精神であったが、こうして裏切りに傷つく
若き投手を見ると、どうにも放っておけないのもまた自分らしい。
「小林はお前がやったと思ってるんだろう?なら、そっちの方が問題だろう。」
「俺、やってません!だから雅さんの誤解を解きたいんです!」
「…清水を失った小林が、冷静にお前の話を聞けるとは思えない。」
「でも…俺、雅さんと戦いたくない。」
小林だけではない。誰とも殺し合いなどしたくない。松坂は必死に叫ぶ。
「けど向こうは清水の仇を討つ事を望んでいる。死にたくないなら…応じるしかない。」
「死にたくないし、殺し合いもしたくない!」
それが通れば苦労はしない。この期に及んでもそんなことを言う松坂が
少し羨ましいと小笠原は笑う。
「…ある選手はな、自分の誇りのために自分の意志で死んだ。
殺人者にはなりたくない、醜い生き様を晒すくらいなら…格好良く死ぬと。」
「……」
「俺も同じ意志だった。でもこうして生きている。自分で自分を持て余し…そのまま精神が奈落の底へ落ちそうな時…お前が現れた。」
小笠原は立ち上がり、砂を払う。

「これも何かの運命かもしれないな。お前が小林と戦いたくないし、死にたくもないというなら…協力しよう。」
この命をかけよう。どうせ終わらせるつもりであったこの命が未だに存在し、
消えかかった精神がとどまったという事は、どうせなら誰かのために使えと、
散るなら誰かの為に散れということかもしれない。

もう精神が割れる事は無い。重い霧が晴れたような、晴れやかな表情で
小笠原は松坂に振り返る。
「じゃあ、俺を信じてくれるんですね!俺と一緒に…来てくれるんですね!」
「…信じよう。」
嬉しそうに身を乗り出す松坂に、一緒に行く事はできないとは言えず、
ただ信じるという事しか言えなかった。
パンッ…
空気を破るかのように響く銃声。壁にめり込む弾丸に、二人は目を見開いた。
「ま、雅さんっ…!」
暗闇でよく見えないが、表情が分からなくても、言い様の無い憎悪を漂わせ、
月光を背に立つ小林の姿に、松坂は悲鳴をあげる。
「……」
暗い影で読み取れない表情のまま、小林はさらに引き金を引く。
パンッ…
立て続けに放たれた一発は、松坂の二の腕を擦った。
「待ってください!俺はナオさんを殺してなんかっ…」
「松坂!校舎に入るぞ!校舎内なら障害物も沢山あるし、あいつの攻撃をかわしながら、時間稼いで説得するしかない!」
「は、はいっ!」
転がり込むように校舎内に逃げる松坂と小笠原をじっと眺め、暫し立ち尽くす。
「…ナオ。」
あらゆる表情が削げ落ちたような、固く冷たい面にただ一つ浮かぶのは、
大事な仲間と誇りを失った事による憎悪…
小林はゆっくりと校舎の中へと姿を消した。

【小笠原道大(2)・松坂大輔(18)・小林雅英(30) H−4】




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