122.さまよいの果て --------------------



小笠原道大がその場所に足を踏み入れたことに理由はなかった。
黒田の死後、ただぼんやりと歩いてきて、行き当たった建物。
それが学校だったというだけで、彼自身はそこに用もなければ、これからどうしようという展望があったわけでもない。

しかし、彼は気づいてしまった。
何気なく懐中電灯で照らした廊下の床に、赤黒い水たまりがあることに。
そして、それが血痕であることに。

小笠原はしばらくの間、その点々と続く不吉な印を不思議な気持ちで見ていた。
この血痕の先にいる人物が傷を負っていることは間違いない。
けれど、それがゲームに乗っていない人間ではないという確証はどこにもない。
誰かを襲って返り討ちにされたとしても、血は流れるのだから。

「どっちでもいいか……」
小笠原は小さく呟いて、血の跡を追った。
負傷者に会って、どうしようかということすら決めていなかった。
小笠原は自分がこのゲームの中でどうすればいいのかすら決めかねているままなのだ。
黒田の潔すぎる死が、彼の心をますます混迷に導いていた。
自分にああも迷いなく命を手放すことができるかと言われれば、答えは否だ。
それは黒田の死を目の当たりにして痛感した。
しかし、では生きて何をするべきかと言われれば、その答えは見つからない。

誰かに会って、話してみれば答えは見つかるだろうか?
黒田が自分に会って、答えを見つけたように。

例えばそれが、他者の手による死だったとしても、ひとつの答えには違いない。
小笠原は判決を望む罪人にも似た気持ちで血の跡をたどる。
血痕は階上へと続き、やがて、ひとつの扉の前で途切れた。

この扉を開ければ、自分に待つものは死か。
あるいは別種の救いか。

やや重いその扉をゆっくりと開けて、懐中電灯で中を照らす。
そこにはまったくといって人の気配らしきものはなかった。
彼が、床に倒れた背番号27の血まみれの背中を見つけるまでは。


「木村さん!?」
チームメイトの凄惨な姿は一瞬にして小笠原を現実に引き戻した。
さきほどまでの厭世的な気分をどこかへ吹き飛ばし、倒れ臥す木村拓也に駆け寄る。
「木村さん!」

死体だ!!

一瞬そう思ったほど、全身を赤く染めたその体は力なく横たわっていた。
黒田のものとはまったく違う、人を恐怖させるほどに血に染まった姿。
それは船で見せられた中村の死体を否応なしに思い出させ、小笠原を動揺させるのに充分だった。
かろうじて息があることを確かめても、小笠原はその名を呼び続けることを辞められずに叫び続けた。
「木村さん、しっかりしてください! 木村さん!」
何度目かの呼びかけに応えて、木村の指がぴくりと動く。
「木村さん、俺がわかりますか!?」
小笠原です、と続ける前に、木村の唇が動いた。
慌てて耳を近づけると、苦しそうな息の果てに、木村は予想外の台詞を吐き出した。
「くろだ……?」
「え?」
自分とまったく似たところのない、そして自分が今しがたその死を看取ったばかりの男の名前を出されて小笠原は困惑する。
しかし、木村にとっては現在のチームメイトであり、おそらく最も信頼しているであろう男の名でもある。
否定していいものかどうか迷っていると、木村が更に言葉を続けた。
「俺を、探しにきてくれたのか……?」
先ほどよりはっきりと、おそらくは気力を振り絞った声で言われて、小笠原は目を閉じた。

いいえ、違います。俺は小笠原です。黒田はもう……。

そんなことが、どうして言えるだろうか。
黒田は自分の目の前で、自ら命を絶ったなどと。

心臓を突き刺すような痛みを覚えながら、小笠原は優しい嘘をつく。
「そうです。黒田です。木村さんを、探しに、来ました」
「ああ、やっぱり黒田か……俺さぁ、目が開かないんだよ……なんか体も動かなくて、どうしたのかなぁ……」
すでに木村の体は、素人目に見ても限界だった。
この部屋まで小笠原を案内した血。ユニフォームを染め上げる血。そして、体の下に染みのように広がる血。
血、血、血。
おそらくは致死量の出血だろう。
どうすることもできずに、小笠原は木村の手を握り締めた。
そして、それに勇気づけられたように、再び木村が言葉を紡ぐ。
「来てくれてよかった……俺な、お前にあやまりたかったんだ……」
ほんのわずかの力ながら、木村が手を握り返した。
「さっきはごめんな……本当にごめん。ずっと頭痛くて、混乱してて……怖くて、それで……」
「……木村さん」
名を呼ぶ以外、小笠原には、返すべき言葉が見つからない。
「馬鹿だよな……お前が俺の敵になるわけないのに……。悪かった……」
小笠原が黒田と出会う前に二人は出会っていたのだろう。そして、おそらく木村が黒田を襲った。
そう思いあたると、哀しくてたまらなかった。
もしかしたら黒田に自ら死を選ぶほどの絶望を与えたのは、木村なのかもしれない。
けれど、木村は今そのことを深く悔いている。
しゃべるのも苦しいであろう息の下で、懺悔の言葉を吐き続けている。
「俺が、馬鹿だったんだ……許してくれ、黒田」
その言葉を聴くたびに、小笠原の胸はどうしようもなく痛んだ。
黒田に聞かせてやりたかった。
自分なんかじゃなく、黒田に、ちゃんと。
そうしたら、黒田は死なずにすんだかもしれない。

「許してくれ、黒田……」

黒田の死に様を知る小笠原にはそれはあまりにも皮肉な願いだった。
木村よりも先に、黒田は死んだのだ。小笠原の目の前で誇り高く死んだのだ。

「木村さん、大丈夫ですよ。俺は気にしてない。だから、探しに来たんです」
「そっか……」
小笠原の言葉に、木村は安心したように息をついた。
「……死ぬ前に、あやまれて、よかった」
「な、何言ってるんですか!」
「いいんだ……わかってるから……自分で、わかるから。きっともう……俺のからだ、うごかないよな……」
「木村さん!」
「いいんだ……お前にあやまりたかった、の、果たせたから、……もういい」
「ダメですよ!」
叫んだ声が、むなしく闇に吸い込まれる。
うまく言葉が出てこない。自分の不器用さを、小笠原は呪った。
「でも……もう一度野球はしたかったな……せっかくユニフォーム着てるのにさ…。武器持って、仲間疑って……変だよな」

「俺たち、野球選手なのにな」

その言葉だけは、絶え絶えの息の中で、やけにはっきりと聞こえた気がした。
小笠原は嗚咽をこらえて、ポケットを探った。
「野球ならできますよ! ボールだってあるんだ、ほら!」
木村の手を包みようにして白球を握らせる。それは黒田が最後に投げた球だった。
「あぁ、本当だ、ボールだ……やっぱりいいな、この感触……なあ?」
木村はかすかに微笑んだ。
暗闇の中で、わずかに口許をひきつらせただけだったけれども、小笠原には木村が微笑んだことがはっきりわかった。
「おかしいよな。もうすぐ死ぬのに……こんな時でも、ボールを握ると嬉しいんだ……」
おかしくないですよ、俺もそうです。きっと、みんな、そうです。
その言葉は、喉の奥に詰まって出てこなかった。
「やっぱり……野球、大好きだなぁ……」
その一言で。
それで、もう満足だとでもいうように。

木村の呼吸は、いきなり止まった。



また、おいていかれた。

呆然と座りこむ小笠原の脳裏には、そんな言葉が浮かんでいた。


【小笠原道大(2)H−4】
【木村拓也(27)・死亡 残り19人】




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