121.夢でも現実でも --------------------



和田一浩は途方に暮れていた。

目の前には放心状態で座り込んだ岩隈がいる。何を問いかけても反応が無い。
ただ呆然と何処かを見つめ、時折掠れた笑い声を放つ。
その姿に船の中でパーティが始まるまで…ゲーム開始が告げられるまでの、
穏やかでしっかりとした信念を持った良き投手の面影は一切感じられなかった。
この若い青年はこの惨状に耐え切れず壊れてしまったのだと思わざるを得なかった。
しかし和田はそんな岩隈を放っておく事はできなかった。
岩隈はこの島の中で初めて会う事ができた、生きている人間だったのだから。

和田は数時間前まで集落の中で人を探し続けていた。だが誰にも会う事が出来なかった。
民家の中で既に事切れていた選手を一人見つけただけ。
シーツを被せてその体を隠す事しかできなかった和田は、己の無力感に泣いた。

目の前にいる岩隈は生きている。例え精神を病んでしまっているとしても。
少しでも救える可能性があるなら。それに賭ける事ができないようでは誰も助ける事などできない。

だが、和田には体を治療する道具はあっても、心を治療する道具など無い。技術も無い。
下手に何か言って状況を悪化させてしまう事が怖くて、差し障りの無い発言しか出来ない。
立たせようとしても頑として岩隈は動かない。足元に落ちている銃を拾えば錯乱するだろう。
(どうすればいいんだ…?)
和田が何度目かの溜息をつくと、岩隈が遠くを見ながら呟いた。

「…和田さんは、いい人ですか?」
「は?」

突然の質問に思わず間抜けな声が出る。その上、その質問は和田には理解できなかった。
だが、とりあえず自分の事は認識しているらしい。まだ会話は可能だ。その希望は和田を元気付ける。
「僕、和田さんに恨まれるような事した覚えは無いから多分良い人だと思うんですけど…。」
岩隈はまだ和田を見ようとしない。本当にその言葉は自分に向けて発せられているのだろうか?
この島にはもう一人、和田がいるはずだが、辺りにはもう一人の和田どころか誰の姿も見えない。
(俺に…聞いてるんだよな?)
少し悩んだ末に、とりあえず答えてみる事にした。とにかく何でもいいから、会話がしたい。
「自分で言うのも何だけど…良いか悪いかで言われたら、良い人だと思う。」
こんな状況で人を助けようとしている自分はどうしようもない位のお人好しだと思う。
「そうですか…。」
和田の返答に岩隈は重い溜息をついた。それは安堵の息か絶望の息か。考える間もなく岩隈が続けた。
「…他の選手はどうなんでしょう?特に恨まれる事をしたり仲の悪い選手もいなかったけど…。
 人相怖い選手は悪役になってるかも…だって、僕がそう思い込んでるから…。」

(…ああ、やっぱり。今の岩隈は平常じゃない。異常なんだ。)

岩隈の不可思議な発言に、和田は岩隈の異常がどういったものであるかが理解できた。
現実逃避。今の状況を自分の作り出した空想の世界…夢だと思い込んでいる。
この惨劇を夢だと思い込んでいる岩隈に、どうすれば安全に現実を突きつけられるだろう?
会話が出来たと思えば、また新たな難題の出現に和田は頭を悩ませる。
こんなに悩んでたら育毛剤がいくつあっても足りない。そんな事も考えつつ、一つの結論を見出す。

「…そうか。お前も俺も同じ夢を見てるのか。」

下手に現実を突きつけてしまうよりは、夢だと思い込ませておいた方がお互いに安全だ。
実際夢でも現実でもどっちでもいい。この状況は多分死ぬか生き残るかでしか変わらない。
この中で死んだ後、目を覚ますか、永遠に目を覚まさないか。それだけの違いだ。

「和田さんも…同じ夢を…?」
岩隈がようやく和田に視線を向ける。関心を引けた事に和田は自分の判断は正しかった、と確信した。
「もしかしたら、この島にいる奴は皆同じ夢を見てるかもしれないな。」
「…じゃあ、夢から目を覚ましたら…谷さんは僕を恨んでるかもしれない…?」
「ん?」
「僕は…谷さんを撃ちました…谷さんが僕を殺そうとしたから…だから…。」
「そうか…。」
撃ったのか。と改めて聞くと岩隈は小さく頷いた後、頭を抱えて塞ぎこんでしまった。

駆けつける前に銃声が聞こえたから予感はしていた。誰かが撃たれたかも知れないと。
辺りに人の気配は一切無い。自分が駆けつける前に谷は何処かに逃げていったのだろう。

「夢だから撃ったのに…目が覚めても覚えてたら…僕は…ぼくは…。」
今にも泣き出しそうな声で呻く岩隈の体は、異常なまでに震えている。
「…今から、探そう。」
「……え?」
和田の言葉に、岩隈は思わず顔を上げる。
「まだ遠くには行ってないはずだ。谷を探して、助けよう。」
逃げられたなら命に関わるような負傷をしたとは考えづらい。治療すれば助けられる可能性がある。
「い、嫌です…あの人は、僕を憎んでる…。殺そうとする…!」
岩隈はまた塞ぎこむ。暴れたりしないのはもうそんな気力は無いからだろうか。
人としてはまだ完全に壊れてはいないのかもしれない。和田は岩隈の肩を軽く叩く。
「撃たれてるなら激しい行動はできないはずだし、いざって時は俺が全力で谷を止めるよ。
 いいか、岩隈…夢に甘えちゃいけない。夢だからって何をしてもいい訳じゃない。」
「………。」
「大丈夫だ、心配するな。……行こう。」
和田が手を差し伸べる。だが、岩隈は防ぎこんだまま何も答えない。
差し伸べた手には気づいてすらいないだろう。和田は差し出した手をゆっくりと降ろした。
「……着いて来たくないなら、それでもいい。でも俺はお前に着いて来て欲しい。
 悪い事したら謝らなきゃいけないんだ。それがたとえ、夢の中の事だとしても。」
和田は岩隈から背を向けて歩き出す。救える可能性がある人間を救う為に。
着いて来る足音が聞こえるのを願って、一歩一歩ゆっくりと歩き出した。

安藤は既に死んでいた。銃声や爆音に駆けつけても誰を見つける事もできなかった。
助けを求める人間の叫びを聞きつけてようやく見つけた人間は壊れていた。
(…それを治す事ができない自分に、誰を助ける事ができるだろう?)
自分のしている事は無意味な事かもしれない。歩く度に、和田に絶望が押し寄せてくる。

だが、数歩程歩いた所だろうか。微かに後ろの方で草が踏みつけられる音が聞こえた。
それに気づいて振り返ると、岩隈が立ち上がってぼうっと和田を見ていた。

「岩隈……。」
岩隈は無表情だった。何の感情も込められていないその眼は確かに和田の姿を捉えていた。
和田が左右に動くと岩隈の視線と懐中電灯の光がそれに合わせて動く。
岩隈が手に持っている懐中電灯は自分の顔、というよりは頭を照らしていた。
「…何処照らしてんだよ。」
笑う自分につられて、岩隈の表情は少しだけ穏やかになった。そんな気がした。
和田は帽子を深く被りなおして歩き出す。岩隈も、頼りない足取りでそれについていく。
岩隈が何を思って着いてきているのかは定かではない。
だが、最悪の状況からは脱したようだ、と和田は岩隈の足音を聞きながら思った。

しかし。これ以上の「最悪」が二人に迫ってきている事など、今の和田には知る由も無かった。


岩隈と和田。二人の様子を少し離れた所から眺めていた影が、ゆらりと動く。
和田と同じ様に岩隈の叫びを聞きつけて。しかし和田とは真逆の意図を持って足を運んだ一人の影。

「…どっちか死ぬと思ったのになぁ…。」

つまらなそうに溜息をついた岩瀬が手に持っている抜き身の日本刀は妖しく月光に反射する。
「……まぁ、人を追い詰める楽しみが増えたと思えばいいか…。」
日本刀が反射した光は、薄気味悪く笑う岩瀬の顔を僅かに照らしていた。


【岩隈久志(20) 和田一浩(55) 岩瀬仁紀(13) F−3】




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