12.凶兆 --------------------



晩夏の日差しが容赦なく降り注ぐ市民球場の外野には、
黙々と走り込みをしている背番号15、黒田博樹の姿があった。
市民特有の蒸した、じっとりとした熱さが9月になっても居座りつづけている。

外野の端まで来ると、黒田はスピードを落とし、足を止めた。
額に浮かんだ汗を袖で拭い、空を見上げる。
からりとしたアテネの日差しと強い潮風を、ふと懐かしく思う時がある。
あの重圧も、悔しさも、過ぎてしまえば達成感に変わる。
無論、チームの結果に満足しているわけではなかったが、
『良い経験をさせてもらった』、その言葉に嘘は無かった。
けれど今はそんな事を思っている暇もない。チームは低迷、泥沼の連敗が続いている。
「今は、チームを何とかせなあかん、」
自分に言い聞かせるようにそう呟き、黒田は首を振った。

ストレッチをする為、バックスクリーン前へとゆっくり歩き出した黒田の背中を、クラブでつつく小さな影があった。
黒田と共にアテネでの日々を戦った背番号27(C0)、木村拓也だ。
「くろだぁ」
「うっわ、ビックリしたぁ、・・・何すか?」
「お前んとこにも変な手紙きたぁ?」
驚いた表情で振り返った黒田を追い越し、ゆっくりと歩きながら、ぽんぽんとグラブを叩く木村。
黒田は木村に肩を並べると、ひとつ頷き溜め息を漏らした。
「お前行く?」
「まだ、考えてるとこなんすよ。」
「そうだよなぁ。・・・うん。」
「行きたいけど、・・・なかなか会えへん奴も多いし。」
黒田はそう言うと、足を止め、グラウンドを見渡した。
内外野でそれぞれに練習をしているチームメイトは、決して暗くなっているわけではない。
けれどこのままいけば、チームは長年の定位置である5位からも転落してしまう。
そんなチーム状況で、参加することができるのか。
少なくとも今は、それを考える事よりも優先するべきことがある。

「まーくんとか、なおちゃんとか、小笠原とか、ジョーとかぁ・・・」
指を折り、共にアテネを戦ったメンバーの中でも対戦のない、
パ・リーグの選手の名前を一人一人挙げる木村を、黒田が笑った。
「全員やないすか。」
木村はその言葉を待っていたようで、口元を歪めニシシと笑った。
けれどすぐに笑みを消し、帽子を取ると空を見上げる。
「でもなー」
「でも?」
「何か変やったよなぁ。」
「変って?」
丁度、バックスクリーンにさしかかる少し手前、
ストレッチをしている選手からは遠いそこで、木村はすとんと座り込んだ。
黒田もつられるようにして隣に腰を下ろし、木村の顔を覗き込む。
木村はグラブで黒田の頭を小突くと、辺りを見渡し声を落とした。
「黒田、あの手紙ちゃんと見とらんやろ。」
「え?」
「強制参加とか、欠席者には重大な罰則とか。」
「へ?何なんすかソレ。」
「俺も分からんから黒田に聞いたの。手紙くらいちゃんと読めよォ。」
木村の呆れたような声に黒田が苦笑を浮かべる。
「強制参加、ねぇ・・・」
「それどころじゃないって時に。」
「何か、変すね。」
「だーかーらー、さっきからそう言ってるデショ?」
黒田をからかうようにそう呟いて、木村はばたりと後方に倒れ込んだ。

見上げた空は、まだ容赦なく日差しを降らしている。
けれど西の方に顔を覗かせる、灰色の不気味な雲。
「一雨、来るかもしれんなー。」
「それで涼しなるならいいんですけどね。」
木村は西の空を暫く見つめた後、よいしょ、と立ち上がった。
「・・・お前、上原とかには聞いた?」
「いや、また連絡してみます。」
「うん。俺も何人か聞いてみる。」
帽子を被り、ユニフォームを軽く叩いてホームの方に視線を移した木村。
黒田はあぐらをかき、木村を見上げた。
「連敗ストップの一打、頼みますよ。」
「お前もしっかり投げろよ?」
二人が顔を見合わせて笑っていると、丁度木村を呼ぶ声が聞こえた。

木村がバッティング練習を始めたのを見つめながら、
黒田はアテネで共に戦ったメンバーの顔を思い出していた。
「・・・強制参加、て何やねん。」
ぽつりと呟き、溜め息をつく。
暫く俯き唸っていた黒田だったが、すぐに立ち上がり投手陣の輪の中へと移動した。
とにかく今は、チームの連敗を止めるのが先だ。
考えるのはこのシーズンが終わってからでも遅くないだろう。
そう気持ちを切り替えて、黒田はストレッチを始めた。

市民球場を囲んでいた青空が、いつのまにかもくもくと大きくなった灰色の雲に覆われ始めた。
遠くで雷鳴が聞こえている。

黒田と木村は、それぞれの思いを抱えたままそれを耳にした。

自分達がカープで過ごすシーズンが、まさか今年で最後になるとは夢にも思わずに。




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