11.思惑 --------------------



「これは……ごっついわぁ……」
 上原は大袈裟とも思える程大きな声を上げると、海の上にそびえたつ船を見上げた。
 ダイアモンド・プリンセス・シーと呼ばれる巨大客船。
 ジャイアンツのエースとして何かとパーティーやレセプションに呼ばれることの多い上原でも感嘆の声を上げたくなる程の豪奢さだった。
 ここで行われる五輪会ならば確かにタキシードが一番相応しいものだろう。
 とにかく豪華な客船だと教えてくれたのは、秋に結婚したばかりの妻だった。
 あまりにも他の選手がこの五輪会はおかしいおかしいと囁くものだから、さすがの上原も少しだけ不安になった。
 妻に相談してみると、そんなもの調べて見ればいいじゃないとあっさり言われ、ネットで検索してこの船の概要を知った。
『すっごいところでパーティするんじゃない。私もコンパニオンで潜り込みたい!』
『恥ずかしいから止めといてぇ』
『今からでも募集してないかなぁ』
 そんなやり取りは上原から一抹の不安を吹き払ってくれた。
 妻の明るさにはいつも救われる。
 去年の球界は散々だった。
 突然の身売り話。球界再編。何度も繰り返される選手会の会合。ごたごたが続くその中で五輪は行われた。
 こんな状態だからこそ、勝たなくてはならなかった。
 プロ野球選手がシーズンの真っ最中を抜け出して、アマチュアの夢であった五輪へと参加したのだ、
 勝たねばならない試合だった。勝てるはずだった。
 結果は一番鈍い色のメダル。
 日本に戻って来ればみんなねぎらいの言葉を掛けてくれた。
 だが、本当に欲しかったものはそんなものではない。

 結局五輪とはなんだったのか考える暇もなく、ペナントレースは続き球界は揺れ続けた。
 一つの球団が消え、一つの球団が生まれ、二つの球団の名前が変わった。
 確実に、何かが変化している。
 その中で変わらなかったのは、彼女の明るさだけだった。
 こいつとなら一緒にやっていける。
 秋に入籍した。
 こんな時だからこそ、誰よりも明るくて楽しい家庭を作って行こうと誓った。
 海から吹き付ける風が肌を刺すようだ。
 上原はぶるっと身体を震わせると、早くこんなところから逃げ出そうと船に足を向けた。
 辺りには誰もいない。
 この季節ならば湾岸を歩こうと思う観光客も限られているのだろう、それにしても五輪会に出席する仲間の姿すら目にしない。
 皆、この寒さに耐えかねてさっさと船内へと入ってしまったのだろうか。
 本当は由伸と一緒に来ようかと思っていたのだが
「小学生の遠足じゃあるまいし、それに横浜だろ?わざわざ待ち合わせて行かなくてもいいんじゃねぇの?」
 と軽くいなされて、仕方なく上原は一人でここに赴いたのだった。
 広大な空間と視界に収まり切らない人造物が、何故か上原の心に不安を掻き立てる。
 コンパニオンに化けた妻でも連れて来れば良かったやろか、そんな馬鹿な想像をして気を紛らわせる。
「にしても……やっぱりあの人が絡んどるんやろか……」
 見た目だけで威嚇するような巨体に、上原は思わず一人の人物を思い浮かべた。
 正直、あまり顔を合わせたくない人物だった。
 上原は今ポスティング問題の渦中にある。
 球団が認めていないにも関わらず、先日上原はポスティングでのメジャー移籍を希望した。
 代理人に全てを委ねているとはいえ、人々は上原本人の言葉を欲しがる。
 球界関係者もOBも考えを変えろと直接声を掛けに来るだろう。
 出来れば公の場に顔を出したくないが、そうもいかない。

 その一方で、この五輪会はもしかしたらMLBが絡んでいるかもしれないという希望を上原は秘かに持っていた。
 今回の五輪にアメリカは予選落ちのため不参加だった。
 MLB機構としてはシーズン中に行われる五輪にもともと協力的ではなかったが、選手の中には出場を熱望するものもいたという。
 アメリカは野球発祥の地だ。MLBは世界最高峰の夢の場所だ。
 だからその国を主体にして五輪に匹敵した、いや、それ以上の大会を開こうと着々と計画は進められている。
 アメリカに次ぐ野球大国である日本の協力も必要としているに違いない。
 招待状に添えられたあの紙の怪しさは、実はこんな裏があるのではないかと上原は睨んでいる。
 どうやら松坂も同じようなことを考えていたようだった。
「いっそのこと、このままアメリカまで連れて行ってくれへんかな……」
 上原はぽつりと呟くと寒さから逃げるように足早に乗船ゲートを目指した。

 本当に連れていかれる場所は何処か、その時の上原には知る由もなかった。




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