119.今更 --------------------



ロクな明りもない闇夜の中で、岩隈は必死で谷から逃げ続けていた。
金属バットを掲げて無表情で自分を追い回す谷は、岩隈にとっては鬼そのもの。
捕まれば絶対に殺される。混乱した思考の中で、それだけは確信していた。

「死にたくない…死にたくない…死にたくない!」
夢に逃げる呟きは、いつしか誰かに助けを求める叫びに変わっていた。
この島に来て何度そう叫んだだろう。そう思っても岩隈は叫ぶのをやめなかった。
「助けて…誰か、助けてください!!」
この島には今、二十人位の人間がいる。近くに自分達以外の誰かがいてもおかしくない。
その誰かが敵となるか味方となるかはわからない。それでも岩隈は叫んだ。
自分の命が途絶える前に、誰かの声が返ってくる事を願って叫び続けた。
だが助けの言葉は未だ無く、悲痛な叫びは岩隈の体力を消耗させるだけだった。

「諦めろ…誰もお前なんか助けに来ない。これが現実だ!」
谷は岩隈の叫びを哀れむ事もなくただ冷静に岩隈を追う。
(……現実?)
谷の言葉に岩隈は違和感を抱く。

さっきから僕が何度も言ってるじゃないか。これは夢だ。現実じゃない。
そうだよ。夢だ。これは、僕が見ている悪夢だ。今僕を殺そうとしている谷さんも悪夢の産物だ。
僕自身が谷さんに対して後ろめたい気持ちがあるから。
バファローズへの誘いを蹴った僕を谷さんは恨んでると思ってるから。
だからこの夢の中の谷さんは怖いんだ。そうだ。本当の谷さんはこんな人じゃないはずだ。
ああそうだ、夢だ。でも僕は、例え夢の中でも死ぬのは怖いから…

「すみません、谷さん…!!」
「今更、命乞いか…!?そんな物が通用すると…」

夢から目を覚ましたら谷さんには謝ろう。谷さんには何の事か分からないだろうけど。

「そっちが…そっちが死んでくださいっ!お願いしますっ!!」

岩隈はそう叫ぶなり素早く振り返り、持っていたウージーの引き金を引いた。
小気味良い発射音が暗闇の中に消える。

「うぁっ!」
発射音に紛れた谷の悲鳴を、岩隈の耳は確かに捉えた。

え?夢なのに痛いんですか?本当にごめんなさい。夢から覚めたら何か奢りますね。
バファローズに行かなかったお詫びも込めて。本当に、本当にごめんなさい。
だからもう二度と、僕の夢の中で僕を殺そうとしないでください。お願いします。

…でもこれは本当に夢なのか?岩隈の中で、僅かな疑念が渦巻く。
岩隈は慌ててその疑念を押さえつけるように否定する。

…現実じゃない。現実じゃないんだ。絶対に夢だ!もし現実だったら僕は…
僕は二度も谷さんに対して取り返しのつかない事をしでかした事になる。
夢だ。夢なんだ。夢でなければならないんだ。これだけは!!

ああ、どうして。どうしてまだ涙が止まらないんだろう?
どうして弾を放つのをやめてしまったんだろう。
今のうちに逃げればいいのに、どうして足が震えて動かないのだろう。

どうしてこんなに、心の中が不安で一杯なんだろう?

「おーい!大丈夫かー!?」

突如聞こえる他人の声が、岩隈を夢と現実の葛藤から引き戻す。
遅すぎる助けの声に岩隈の中で張詰めていた何かが切れた。
ウージーを地に落とし、岩隈自身もがっくりとその場に項垂れる。
「おい…どうしたんだ!?何があった!?」
汗だくで息を切らして駆けつけてきたのは、同じリーグの和田一浩。
もう少し早く助けに来てほしかった。岩隈の空しい笑い声が辺りに広がる。

今この状況で悪はどちらかと言われたら、谷を撃った自分だ。
本当に、何故今更。数秒前なら自分は間違いなく善だったのに。

「おい…岩隈…!?」
和田の問いかけに答える気力もなく、笑う気力も失せた岩隈は空を仰いだ。
あの時の黒田と同じ様に。あの時とは違う、黒い空を見上げた。

――…なぁ岩隈…今、お前何がしたい?―――

岩隈の頭の中に響く幻聴――その声の主がもうこの世にいない事を岩隈は知らない――。
(…黒田さん、僕は…僕は早くこの悪夢から目を覚ましたいです。)

早く目を覚まして、暖かい家族や優しい仲間の元に帰りたい。

あの時そう言っていれば、今頃もう少しまともな夢を見られただろうか?
だがもう、何もかもが今更。岩隈には地に落ちたウージーを拾う気力すら残っていなかった。


【岩隈久志(20) 谷佳知(10) 和田一浩(55) F−3】




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