115.最高の死に様を --------------------



もう、着慣れたユニフォームを着て投げ慣れた捕手のミット目掛けて力一杯投げる事はない。

そう確信したのはいつだろうか?
ゲーム開始が告げられた時か。中村の死体を見た時か。島に降り立った時か。
鞄の中にあったボウガンを見た時か。狂い掛けた岩隈に叫んだ時か。木村さんに攻撃された時か。
自分のプライドを優先させる事が死を意味するのだという事だけは、結構早いうちから理解していた気がする。

「…感謝します、小笠原さん。もう二度と投げる事はないと思ってましたから。」
黒田が投げたボールは、淡く地上を照らす月明かりに照らされてしっかりと小笠原のグローブに収められる。
「案外できるものだな。こんな闇の中でも。」
小笠原も黒田に向けてボールを投げ返す。黒田はそれを受け止めると、足元の近くに置かれた茶色の小瓶を見すえた。


十数分前。体育倉庫から再びマウンドの近くまで戻って来た時、何気なく聞いた。
「そういえば、小笠原さんの武器って何ですか?」
「………劇薬の詰め合わせだ。」
淡々とした答えが返ってきた。その武器の魅力に思わず引きつけられる。
「いいですね。一本貰えませんか?あんまり苦しまないで死ねる奴。」
冗談交じりで言うと、小笠原さんはいつもの無表情で俺を見据えた。
何か不味い事でも言ったやろか?そう思ったら小笠原さんは鞄の中から白い木製の箱を取り出した。
「…俺にはどれがそういう薬か分からん。好きな物を取ればいい。」
差し出されたその小さな箱を開けると、茶色い薬瓶が4本。蓋には小さな注射器が5本ついとる。
その中で『青酸カリ』と書かれたラベルが貼られた瓶を取り出す。
推理ドラマやニュースで聞きなれた劇薬。これを飲めば間違いなく死ねると思った。
「…これにします。」
液体状のそれは、瓶の中で小さく揺れている。どれだけ飲めば死ねる?
中途半端に飲んで生き地獄を味わいたくない。一気に煽ろう。そうすればきっと、確実に死ねる。

そんな事を考えている俺を小笠原さんは何も言わずに見据えていた。そして、今に至る。


ああ、俺は今、死のうとしとる。生きようとする奴には理解できないやろうプライドの為に。
淡い月明かりに照らされる茶色の薬瓶は、多分ボウガンよりは優しい死を告げてくれるやろう。
残される者への懺悔は済ませた。後は、この手で自分の人生を終らせるだけや。

「…もう、いいですか?」
黒田は覚悟を決めて小笠原に呼びかけた。何度となく繰り返した球の投げあいに小笠原も満足したのか小さく頷く。
「…最後に、思いっきり投げてみるか?」
小笠原は懐中電灯を持って移動を始めると、マウンド上の黒田に対して捕手が座る位置で止まった。
キャッチャースタイルでグローブを構える小笠原が月明かりに照らされる。
「…俺の球はそんなグローブじゃ取れませんよ。それに小笠原さん、内野手じゃ…。」
「入団当時は捕手だった。…大丈夫だ。グローブも…一球位何とかなるだろう。」
小笠原が微笑む。確かに元捕手と言うだけあって、その構えはとても様になっている。
「じゃあ、遠慮なく全力でいきますよ。ちゃんと受け止められますか?」
「安心しろ。160キロでも受け止めてやる。」
「……小笠原さんみたいな人でも、冗談を言うんですね。」
この暗闇の中で、古びたグローブで。一度も取った事も無いだろう160キロなど、取れるはずが無い。
黒田が笑うと、小笠原は真面目な声で返した。
「…本気で言っているつもりなんだがな。」
残念そうな顔で笑う小笠原に、黒田は何ともいえない感謝の念を抱く。

冷たい絶望の中でやっと、暖かな希望が見えた気がした。

「有難うございます…貴方のお陰で、最高の死を迎えられる事ができます。」
この島に来て初めて触れた人間の優しさに、目に思わず涙が込み上げてくる。
このまま。この気分のまま死ねたらいい。何の恐怖も未練も感じていない今なら、楽に死ねる。

黒田が渾身の一球を投げると、乾いたグローブの音がグラウンドに響き渡った。


「…いい球だ。」
グローブをしていても手が強く痺れる。最後の最後にふさわしい、好投。
小笠原の口から、お世辞などではない純粋な賞賛の言葉が無意識の内に零れ落ちる。

だが。マウンド上で倒れこんだ黒田がその賞賛の言葉を聞くことはなかった。
傍で空しく地面を転がる蓋の取れた茶色の薬瓶が、一人の誇り高き投手の死を告げていた。


【小笠原道大(2)H−4】
【黒田博樹(15)・死亡 残り20人】




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